今回は独り言のような記事。長め。
あ、マンガに描いたお風呂掃除、昔は嫌々やってたけど今はそうでもないです。お風呂掃除に心開いたから(後日書くかも)
ここでの天然素材とは、感覚・感性で生きている人のこと。
ケプリさんは愛や感謝を、言葉よりも行動で表現する人なので(私は割と逆)、過去に「ありがとう」を言わなかったのは「オマエがやるのは当然だろ」な理由とは違います。
あと、自分がしたいから、している。
だから本人も「ありがとう」を求めていない。出されたら受け取るけども。
これは私もそう。反応は嬉しいけども「ありがとう」に限らない。(漫画のとき、私は自分の意思でやってたけど「なんで私ばっかり」感が強かったなぁ。ケプリさんは自分で気づくの見守ってたんだと思う)
なので「ありがとうと言いましょう」なんて変な人間ルールを押し付けちゃったなー、と思った夫人でした。
今は「ありがとう」が乱発されてるから、もっと減ったらいい。
感謝しないってことじゃないのよ。
なんというか、適材適所で自分を生きて、自然に流れていく雰囲気。
「ありがとう」が流れを遮ることもあるから。
そして感謝を感じる力は必要。
与えるのも愛だし、受け取るのも愛で(もちろん断ることも必要)
だけど「与える」から「受け取る」が発生するし、
「受け取る」と言う概念がある限り「与える」が発生する。
与える側と受け取る側で、上下関係が発生する人もいる。
もっと、、、
上手い表現が見つからないんだけど
「流れる」感じはどうだろう。
やりたいからやる。
受け取りたいから受け取る。
恩着せがましくなく
押し付けがましくなく
卑下することなく
ただ人を通して流れていく。
とはいえ、うちに来るお客さんは
・「すいません」を自覚なく多用していている(迷惑をかけてはいけないという強迫観念から)
・受け取れないので苦しい
という方が多いので、ありがとうを減らすのは
・「すいません」を辞める(代わりに「ありがとう」を言う)
・受け取る
それができた後の話ではあります。
もっと自由に軽やかに
やりたいことを
己の意思と責任の元で行い
流れてきたものを取り入れて(時に断り)
自分で消化吸収し
また差し出す。
そうしたら
できない人を責めることなく
できない自分を責めることなく
互いを活かし合えるのではないかしら。
「何かしてもらったら『ありがとう』を言いましょう」
これ、自然な状態ではないもんね。
思考で動いてる。
もちろん、心からの「ありがとう」は気持ちいいし
それとは別に、私も特に仕事上では「ありがとう」使ってます。
上手く書けた感はないけど、
そんなところです。