受取拒否というものについて

考えてみまして

 

 

本当は愛されているのに

愛されていない!と思い込んでいたり、とかね。

 

 

漫画の場合

日常でケプリさんが行動で示していることを

愛と感じず、

他人に言葉を尽くしているのをみて

いいなー!私されてない!愛されてない!

って思い込むという、、、

 


ヒドイハナシダ・・・痛い... 笑

 


だって

ほしいジャーン。

まぁおねだりすればいいんだけどさ。

 

 




他の例えを出すなら

「あの人また神社に呼ばれたって。私呼ばれてないなぁ」

「あの人、視えたり聞こえたりして、神様から愛されてていいなぁ。それに比べて私は...」

とか。



みんな漏れなく視えない存在から

愛されていますが

直接視えたり聞こえたりしないと

実感がわかないんだよね。



神社に呼ばれるとかは

神様から見て使い勝手がいい、、、

もとい行動している人は

呼ばれやすいというのは

ありますけどね。

 

 




人にも神様にも、実は愛されてる。

だけど、自分が望む形じゃないと

受け入れない。



例えば、拗ねているときに

「どうしたの?」って聞いてほしい。

だけど、ほとんどの大人たちは

放っといてくれる。

満足するまで拗ねさせてくれる。


だけど、声かけてほしい人にとっては

「愛されてないー!」

ってなる 笑



すれ違い笑

 


 

 


だから、ちょっと枠を広げて見てみると

愛されてることに気づくかも。

欲しい愛の形とは

異なる形で愛を与えられているだけだったりね。


 



 

そして、欲しい形があるなら

まずは自分で自分に与えてみたら。



言葉なのか

態度なのか

望みを叶えてあげることなのか

体に触ってあげることなのか

休むことなのか。

 

 

自分に愛を注いでいても

時にものすごい力で

愛を欲するのが女。



移り変わるのが常で

自分を感じやすいから余計に。



奥深く欲深く

その分、力と可能性を秘めているのです。


 

 



これも受取拒否

★他人からの「ありがとう」を受け取ることで自信に繋がる

 

 




あ、静かな時間を過ごしきったので

サラッとコメント欄復活しました。





 

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