前回の記事、
でも描きましたが
作るものには氣が入ります。
前作を描きながら
思い出したのは
「友人からヒーリングアートを
もらったんですけど、これどう感じます?」
と見せられた絵
私には
ヒーリングという
感じを受けず…
他にも
見る人が幸せになるように
祈りを込めて書きましたとか
聞きますが
それって一見
優しさのように見えるけど
度が過ぎれば自己顕示欲
度が過ぎればね
何が言いたいかというと
「見る人の幸せに〜」とか
一見綺麗そうな言葉で
嘘吐いていないかい
自己顕示欲ならそれでいい。
私を見て!って気持ちで書きましたって
素直に言えば
まだ気持ちもよくなります。
なにより自己顕示欲は
物事を始めるブースターとして
役立つ
ただ、それで動いていたら
そのうち疲れてくるので
そしたら軌道修正の合図
満足したら、次の段階へ進む
願いも祈りも素敵なこと。
だけど度を過ぎれば
意味が変わる
我は悪いことではないけど
我を入れすぎたら祈りではないね
それと、前回の記事に
「無心で作りました」って書いたけど
無心って要は自分の変な欲とか忘れて
集中とか夢中になってる状態よね
別の言い方で言えば
ゾーンに入る
そんなときって
自分の自然な氣が
勝手に乗ると思ってます
以前、本にサインを
しようとしていた私を
見ていたスクール生が
「書こうとした瞬間に
夫人の氣が上がった!」
って言われました。
そーなんだ、と私自身驚いた。
そういえば、そのときは
上手く書けるかな…
良いことかかなきゃ…
喜んでもらえるかな…
とか考えてなかったなぁ。
じゃあ、どうしたらゾーンに入るかというと
やりたいことをやると入りやすいよね。
それが
やりたいときに
やりたいことを
やりたいように
やっていたら
尚更。
そして、意識を今に合わせる。
結局、こういう話になる