私はそんな
立派な母親ではありませんし
自分のこともきちんとできているわけでは
ありませんでしたし😆💦

なのに、
れいのことに関しては
一生懸命にやっていたと思います。
療育も地域に2ヶ所(知的療育と運動訓練)
市外に2ヶ所(大学研究室と言語訓練)
通ってました。



れいは3月末生まれということもあり
ただでさえゆっくりの成長の上に
さらにゆっくり。
生後6ヶ月目に入った療育グループには
その学年の年に生まれたお友達が
すでに6人くらいいて
かなり発達の差がありました。
比べてもしょうがないと思うけども
どうしても他の子が気になってしまいます。
お母さん方も私よりも余裕がありそうな感じ。
2人目、3人目、4人目の子育てという
お母さんもいました。


同学年のダウン症の子たちにせめて並ぶくらい
私はがんばらないと💦
れいが小学校に上がるまでにはなんとか…
と、ちょっとした焦りにも似た思いが😅💦
それでちょっとがんばり過ぎていました💦

あの頃
  もう少しゆったりと
  ゆっくりと
  心に余裕を持って
接してあげたら
よかったのかなぁと
今では思いますが…



あの時は私もとにかく一生懸命でしたから
あれはあれで私もよくやってた、
偉かったとあの時の自分のことも
認めています✨

看護師の時のきつさを考えたら
全然大したことない
情報を取ってトライすることくらい
何でもやっちゃうよーって(笑)
とっても燃えていた私でした😄‼️

知らない世界、新しいことを
知ることの喜びがあり
それが子供のためになるならと
先生方のアドバイスは全てメモして
忠実にやっていたように思います。


ちょっと怖いですかね?😅💦💦
結構そうなってしまう親は多いかもしれません。

大変です。
突然障がいを持った子の親になるって。。






れい💕
れいはどうだったのかなぁ??
れいにとってママは優しいママでしたか?チューリップ赤
愛情はいっぱいあったんだよーチュー

パパがとにかく優しいパパだった。
仕事から遅く帰って少しの時間
ほんとにふんわりした
優しい時間が流れていたねアップ
あれはよかったね✨✨