こんにちは。
餃子の次に熊が有名になってしまった宇都宮です。
前代未聞の熊休でお子様のお世話をしているママさん達お疲れ様です。
さて、私は、スピリチュアルが好きで、本を読んだり、ブログを読んだり、セミナーに参加したりしてきました。
そこには、
「ジャッジを手放しましょう」
「許しましょう」
「愛しましょう」
「感謝しましょう」
そんな言葉が沢山ありました。
スピリチュアルで良く見聞きするフレーズです。
山行や滝行などの修行をしながら、一生懸命やろうとしました。
でも、出来ない。
出来ないどころか、苦しくなってしまいました。
そして、出来ない私はなんて未熟で駄目な奴なんだ、そんなふうに、自分を責めるようになってしまいました。
また、何か嫌なことが起きれば、
「人は鏡」
「何に気付くべき?」
「私のどんな潜在意識が引き寄せているんだろう?」
そう考えていました。
でも、潜在意識って、どこまで行っても潜在意識なんです。
自分から見えていない自分が必ず居るんです。
「気付いちゃった!分かっちゃった!」
そう思ったところで、思い込みかも知れないし、後付けの解釈かも知れない。
気付いちゃった分かっちゃったと言いながらKY。
「気付きとか、霊や気やエネルギーやオーラは読めても、空気は読めないんだ!?」
そんな人も居ます。
すみません。
私も例外ではありません。
ある時、真面目に頑張ることに疲れてしまって、羽を伸ばしに行った沖縄の温かい海に浮かびながら、もういいや、そう思ったんです。
理不尽なことには腹が立つ。
やめれば良いのにやめたいことをやめられないとか、やれば良いのにやりたいことがやれない、その鬱憤や愚痴や嫉妬など、自分の欲求不満を人で解消しようとする、時間泥棒な人が居る。
嫌なものは嫌。
ジャッジもする、許せない、愛せない、感謝出来ない。
人は鏡?
そんな鏡なんていらない。
もう関わらない。
そうやって、境界線を引くことは、自分を守る、大切にすることです。
それに、ずっと、必要のない罪悪感を感じてきました。
(これは、育ってきた家庭が、DV、ネグレクト、ヤングケアラー等、お家の中で境界線を引いたら、1人になってしまう、私も家族も生きていけないというような家庭環境だったからだと思います。)
スピリチュアルで何とかしようとし過ぎていました。
もういいや。
しばらくすると、居なくなった人が居ます。
孤独になるかと思いきや、空いたスペースには、それまでよりもっと良いご縁が入ってくるようになりました。
一緒にいて安心できる人。
嫉み妬みを感じない心から応援してくれる人。
自分を大切にしているから私を大切にしてくれる人。
自分の仕事を大切にしているから私の仕事を大切にしてくれる人。
今、私を大切にしてくれる人は、自分を大切にしている人達です。
日常から、ノイズが無くなりました。
(誰とでも)仲良くしなくちゃは愛ではない。
自分(わたしとあなたのこと)を傷つけ続ける人を許し続けることは愛ではない。
もし、今、スピリチュアルを学べば学ぶほど苦しくなっているなら、もしかしたら必要なのは、
「もう頑張るのはやめよう」
そんな選択なのかも知れません。
「嫌なものは嫌で良いんだ」
そう認めてあげることも、自分を大切にしてあげることです。
自分を大切にしていれば、自然と愛と感謝が生まれて循環して広がって行きます。
花開き香りが広がるように。
スピリチュアルは今も大好きです。
でも、時々、スピリチュアルが好きな人達を見ると、無理を感じることがあります。
麻痺しているなと感じることもあります。
ふわふわ。
きらきら。
でも、生きてくって、本当はそれだけじゃないですよね。
ぐちゃぐちゃ。
どろどろ。
私は「おかげさま」と思ったその数分後に「クソヤロウ」と思っていたりします。
自然を見てもそうでしょう。
美しい自然に感動する日もあれば、災害になんて無慈悲なと怒りを覚えることもある。
綺麗事ばかりじゃなくていい。
怒ってもいいし。
哀しんでもいいし。
自分の本音を無視しないこと。
自分の本音こそ本当で本物です。
私は、スピリチュアルは、そこから始まると思っています。


