私は小学1年生の夏休み

母親が一人暮らしをする家に兄と遊びに行きました。

母親が迎えに来たのですが母親は車の中で市販の薬を大量に飲んでいました。

私はその時市販の薬の事は何も知らない子供だったので

訳も分からず見てました。

その後私は記憶がありませんが兄が父親に電話をし父親が母親の自宅に来たと思います。

その後救急車に兄が乗り母親は病院に運ばれていきました。


私はこの辺は記憶が曖昧でありあまり覚えてません。

ですが母親の自殺行為は何度もあったと聞いています。


母親は私が小学3年生の時に亡くなりました。

どのような感じで亡くなったのかはわかりません。

自殺だった事は確かです。


その後私の人生が変わる事が起きます。

それは父親の再婚です。


4年生の時だったかと思います。

父親は中国の女性と結婚しました。

その方は私や兄の事を最初のうちは可愛がってくれましたが次第に私達の事はなんとも思わなくなったんでしょう。

甘り可愛がってもらった記憶はありません。


その時から父親は長年働いた会社を、経営難なのか人件費削減なのかは定かではありませんが会社を早期退職しました。

その女性(この後は育母と表記します。)はそのお金で夜のお店を作りました。

作りましたが半年くらいで潰していたと思います。

その後もそれを繰り返していました。


私が中学にあがった頃妹が誕生します。

母親違いの妹です。

その為中国からは育母の母親…私からしたら祖母にあたる方が家に来ていました。

兄はその祖母が嫌いでした。

反抗期と重なっていた部分もありヤンキーになっていた兄を育母は嫌い1人では不安だっとこと、妹の事等色々あり祖母を呼んだのでしょう。


その時私は祖母の事、兄の事、自分の学校の事と

考える事が多く学校に行けなくなっていました。


所謂、不登校ってやつですね。

学校に電話するのも自分でしてました。

親に知られたくないのでこっそりと。

ほぼ体調不良で通しました。

まあ先生達がそれで納得する訳もなく、家まで来たこともありました。

なぜ学校に来ないのか。イジメがあるのか。

今の学校の先生と違い必要以上に聞いて来た事がいまだに人間関係が築けない原因ではと思ってしまうほどです。


正直その先生とのやり取りはホントに私にとって苦痛でしかありませんでした。

親?親なんて頼れません。

だって私や兄より生まれた妹の事で手一杯だったのですから。


ですが私は我慢しいな性格だった為、先生から学校に来なさいと言われ、苦痛に思いながらも学校に通いました。

親にアレしろコレしろ言われてもはいはい、とやって来ました。

兄とは違い。

兄は反抗期だった為親に言われてもやらないのが当たり前。

もしくは返事だけして私への押し付けが当たり前でした。


正直その時からです。

私は自由に生きては行けないんだと感じたのは。

ですが私はその時からだと思います。

小説世界へ逃げるようになりました。

まあ、あれです。

ご存知の方はご存知でしょう。

夢小説と呼ばれる類です。

私は夢小説を読んでる時間がとても幸せでした。

いつの間にか自分でも書くようになり書いた小説に対しコメントを貰えるのが生き甲斐でした。


ですがある日その幸せをぶち壊す人間が現れます。

兄です。

いまだにバカをやってる兄貴が私の幸せをぶち壊しました。


私が書いていたサイトを見つけたようでそれを友達に言いふらす始末。

ぶっ殺してやろうかと思いましたが、私は精神的にイカれてたので笑って過ごしました。


次第に私は夢小説を書かなくなり、自分は何が幸せなんだろう。と思いました。

周りは皆笑ってて、元気で、楽しそうで。

自分が惨めで仕方なかったです。


そんな中で3年間を過ごしてきたのですが、中学は勿論帰宅…ではなく演劇部に居ました。

部員も少なく5人とかだったので勿論主役をやらされる年もありました。

演劇をやってる時はとても楽しかったです。

自分とは違う人生、人格が演じられる訳ですから。



楽しかったな…