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告白します。
僕はイギリス人です。
よって、国民的ヒーローであるJames Bondを支持しております。

なに言ってんだ、このド日本人顔が西欧人ぶりやがってと。
そんな声が聞こえる。
wwwを通じて。
ツッコミ、感謝です。

というのも、僕はイギリスで育ったから、
心は日本と英国のハーフなのだ。

たまに英語を話す機会があると、
「なんでおまえみたいなあんちゃんが英語話せるんだ」
みたいな空気が流れることがある。

そうなんだよね、勉強してしゃべれるようになるキャラとは思えないよね(笑)

3~9歳はイギリスですくすくと育った。
9~12歳はベルギーでぬくぬくと育った。
12歳~はジャパンでしゅるしゅると背が50cm伸びた。

そんなわけで、James Bondが大好きなのだ。
それはもう3歳くらいから。

日本の国民的な映画というと、寅さんや釣りバカや時代劇がある。
イギリスはとにかくJames Bondの007作品なのだ。
新年、クリスマス、
あらゆるタイミングでテレビは007映画を繰り返し放映してた。
(今は分からないよ、自分が住んでた時ね)

そんなスリコミも手伝ってか、
いつの間にか、男子たるものJames Bondたれ、的な、
僕にはそんな哲学すらある。

前作のカジノ・ロワイヤル以来、
あのダニエル・クレイグ先生のあまりのカッコ良さに、
B級な成分があった007映画が格を上げたように思う。

007、つまり英国諜報部MI6の諜報員である。

00(ダブルオー)は殺しのライセンスを示す。

そんな諜報員がギミック満載の兵器や時計や車を駆使して、
悪を倒し、
美女を抱く。

その過程で、『Bond, James Bond』とクセのある名乗りをし、
『Vodka Martini. Shaken, not stirred』とカクテルを注文する。

このお約束が、水戸黄門の印籠級に大事なのだ。

つまり、そのルーティーンワークさえこなされていれば、
物語性というのは実は問われていない。

狂信的な愛好者にとってみたら。

他の例で言い換えると、

スーパーマンがどんな敵と戦うかは重要じゃない。
全身タイツに身を包み、マントを纏い、空を飛ぶ。
それが全てなんだね。

ところが、ダニエル・ボンド作品は、
伝統の慣習を使わずに007作品を新たに構築したところに、
それはそれは絶大な萌えポイントがある!!

相変わらず、美女は抱く。
それはJames Bondがセクシーだから仕方ない。
だけど、ダニエル・ボンドは、
ギミックは使わない、
名乗らない、
カクテルはボンドマティーニじゃなくヴェスパーマティーニ。

お約束が飛んだ。

水戸黄門印籠紛失事件勃発!!

風景と音楽の使い方とか、
タイトル映像(ガンバレルシークエンス)とかテーマソングとか、
007テイストになる手法は引き継がれてるけどね。

印籠を省いて、全身タイツとマントを省いて、
だけどもそこに物語というQuantum(成分)を入れることで、
007映画の格は上がった。

ロジャー・ムーア先生やショーン・コネリー先生が、
それこそ長い時間をかけて作り上げたヒーローを、
ダニエル・クレイグ先生はそれを消化した上で、
模倣ではない、
新しいJames Bondを作り上げた。

新しいのに、オリジナルに忠実。

伝統の儀式がないのに、裏切ってない。

カジノ・ロワイヤルと慰めの報酬の2作はすごいよ。

すごい。

すごいって平仮名三文字が嘘をついてない。


そんな、James Bond芸人な僕だけども、
カジノ・ロワイヤルは映画館で二回観た。

今日観た慰めの報酬も実は二回目。

だけど、三回目もあることはもう決まっている。


みなさんも是非。



=REI=