食養生やセラピーをやっていると
客観的に見る機会が増えます。
治すに行けば行くほど
食事療法を勉強すればするほど
あることにフォーカスし
苦しむことを見たりもします。
これは局所的になることにより
起こることです。
盲信状態 肩に力が入った状態
ある一定のライン
例えば、体的な視点で見たり
心的な視点で見たりなら
それである程度いけるわけです。
しかし、そこから先に進むのであれば
靈的な視点が要ります。
これは、心的な観点と重なる部分が多いです。
靈的な視点でいくと
委ねる、もうその状態にいること
氣づくことが。違うところに行く始まり。
要らなくなり
手放すことになります。
そこからが治る一歩目。
誤解を招く言い方になったら怖いですが
なくさないとわからないから
氣付かないから、その状態になり
もう得たから
それはスタートであって
既に得ているということです。
得たのです。
得る為にその状態になった。
そこから創造していく。
頭で考えようとするから
頑張ろうとするから
糸がこんがらがるのです。
つまり意図がこんがらがる。
なくしてないし
元々、悪くないのです。
シンプルに緩める
一歩引く
全体像が見えて来たら
自ずとゴールがわかるようになる。
あとは、要るもの 要らないもの
欠けていること 出過ぎているものを見ればいい
足りないからって継ぎ足したものが
足りないからって頑張って頑張って来た
自分が
一生懸命過ぎて
可愛そうだから
辛かったから
手ばなせないんだけど
その自分が可愛いからこそ
手放すときは来ます。
いや手放せるときがきます。
陰が極まり 陽になります。
もう何故そうなるのかわからない…
何を聞いてもわからない…
に、なっている状態を手放すわけです。
海で溺れない方法
溺れたら裏返る。裏返り力を抜く。
そのうち助けに来た船に氣付きます。
既にその体験は得て要るから
ありがとうと手放すこと。
出過ぎているものは
欠けていると思うから
出過ぎてしまうんだけど
実際には欠けてないわけです。
その人にはその体験 その経験が
パーフェクトなわけで
それを信頼して 見守ることができたら
やっとスタートかもしれない
今の自分の体験が
あなたにとってはパーフェクトなわけです。
周りはわかるはずがないわけです。
あなただけのパーフェクトな体験だから…
素材を知るということは
自分を知るということ。
吟味することだから
先に味付けをしたら
わからなくなるわけだなあ
他人を見て真似してもこんがらがるわけで
むしろ違うところから
自分を知る材料に使うわけです。
あちゃー
料理人としてのわたしは
また味付けをしようとしてたな
と、すごく恥ずかしくなった朝でした。
でもそれも恥ずかしい体験を
得ているから
それが過ぎたところだと
わかって良かったわけでした。
皆んなそれぞれ体験が違うから
比べたり わたしだけがと 思うわけですが
わたしが違うから
わたしだけの体験があり
自分の梁に集中したらいいわけで
人のことは放っておきなさい。
あなたがあなたでい続けることだけで
いいんでした。
ただし、本当のあなたが見えてないから
みな 苦しんでいます。
違う人や 違う経験を追いかけようとするから
苦しむ。
既にあなたはなりたいものになっている
そう氣付いたなら
それでいいわけです。
自信を持って歩いていけばいい。
誰に何を言われても
間違えていない。
そう思えたらいいわけです。
ただ、それを乗り越えた人に聞く分はいい。
乗り越え方を知っている人に聞く。
ケースは違うとは思いますが。
視点を持っているかもしれません。
そして、一歩引いて聞くわけです。
その人の体験を一歩引いて聞けばいいのです。
間違えても、自分と比べたりしてはいけません。
*ここ重要。
こんがらがるだけです。
先ずは、自分を一度横において
想像しながら聞くわけです。
素直な方は一番早いかもしれません。
花のようになる既にあなたはなりたいものになっている
そう氣付いたなら
それでいいわけです。
自信を持って歩いていけばいい。
誰に何を言われても
間違えていない。
そう思えたらいいわけです。
…と、わたしがとなりにいたら
そう申してます。
あ、今の状態ならば、ですが。
はは〜ん… 石の意思を知る。
『理想を設定し
その理想が表していることを知り
その理想によって測られる自分を知るならば
人は自分の内に欠けている点や
やりすぎている点を知り
それに気づいてそれを取り除き
同胞の目の中にあるちりを見るのではなく
自分自身の目の中にある梁について考えるようになる』262-29 エドガーケイシー
秋バージョン
皆んな、笑顔になろうよ。