さて、今年は12月21日は冬至です。
太陽の時間が一番短く、陰の氣が一番多くなるときですね。
冬至は、邪氣払いで、柚子湯に入ったり、かぼちゃを食べたりします。
今日辺り、邪氣かいな〜っていうぐらい、昨夜の夜の街を歩いたら、朝から調子が悪かったです
氣をつけねば。。
おかげで、体調がやや悪かったのと。
ネガティヴな氣が溜まってたらしく、ネガティヴな感情が押し寄せました〜
どうやら、今年は正直な生き方にシフトを変えたところ。だいぶ、嫌われたようで、わたし的には何が原因かわからず、ちょっとは気にはしてはいましたが。
ニューたえこの為には仕方なかった。
まあ、よくぞここまで嫌ってくれたなあ〜と。
わたし自身が、恨んだりや、嫌ったり、シカトや、いじめの感覚があまりないので。あの人がなあ〜と、不思議な感覚です。
しかしながら、今までの自分だったら、良い人のフリをしていたと思うので。
自分自身の冷酷さや、ワガママさ、言葉の使い方などを改めて見直す良い機会になりましたし。はっきり言いすぎるので…
わざわざ嫌われる必要はないとは思うのですが…
嫌われることが、以前より怖くなくなったのは事実です。人は簡単に嫌われるんだな〜と。
やはり、それなりに、目立ったり、影響力が出てくると。何かがあれば、嫌われる確率は上がります。最初に人気があったり、好感度があればあるほど、落差が大きいのでしょう。
だからと言って、やはりそのまま、凹んだり、落ち込んだりしているままでは。
自分や自分を好きな人達をも裏切ってしまうことになり兼ねないと思います。
シカトやいじめも、気にしなければ(ネガティヴに反応しない。受け取らない。)大丈夫なこと。
わたしは以前 好きだった人から、相当手酷く裏切られた挙句に、被害被って辛酸をなめまくった経験がありますが。
結果、恨んでないし、嫌ってないんですよね〜
本当の本当に、その人を信じなくなることは、やらなかったんですよ。
その人を思って離れた挙句に、その人が荒れた結果だったので、一斉に結果を引き受けたんですね。だから、悲しかったけども、嫌ったりや、恨んだりはなかった。
ただただ、悲しかった
ただただ、深い深海の底みたいに悲しかったですね〜
おいおい癒されていくんですが…
誰だって、心に闇があったり、好不調があったり、たまたま誤解だったり、ただタイミングだったりと色々とあるんですよね。
だから、その一度や二度では、わたしは本当にその人の本心かどうかは、死ぬまでわからないと思うのでして。
ただ、その経験を通して、、
わたしは自分の愛の深さをより知れたんですよね。
なまっちょろい思いやりみたいなのは、わたしには、ごめんなさい、、ありませんし。
冷酷な部分、厳しい部分もかなりあるんです。
ただ
すごく許すみたいな部分は、強いことがわかりました。
おかげで今は、あまり傷つかないんです。
自分が自分を傷つけなくなったから、あまり傷つかないんです。
もやっとか、はしますけど。
ただ、今回のデトックス期間に出てきた、嫌われた事件や。わたしを好きだった人が心変わりしていくのに気付いた事件は。
やはり、多少は恐れが残ってた証だな〜
ただ、この期間で、さっぱり恐れも認識して
大きく舵をとるために、嫌われる覚悟はこの先もして行こうと思いました。
何故ならば、3年前、わたしが母に帰ってきて一番に言った台詞。
今は、ちやほやされてても、商売しよけば、いや、信念を通せば。
叩かれる時が来るかもしらん。
それは、今のうちから言っておくね。
覚悟しておいて欲しい。
わたしはそのぐらいの気持ちでやるから。信念を貫くから、と。
と、いいました。
人の評価というものは、簡単に浮き沈みします。
だから、わたしはわたしを諦めない。
わたしはわたしを信じてしか動かないから。
母だけには、信じていて欲しいと思いました。
そんなこんなを考えながら、昨日今日の少なめの来客は、菩薩のような女子と。
女神のような女性先輩。来客。
ホッとしました。
明日は、ついに君の名はを見に行きますし。
夜は、TAOを三列目で観ます。
TAOはある意味、祓い…か。
冬至の前の日に、それをたまたま持ってくる辺り。わたしって勘が良いのお〜とか思ってしまいました。
陰極まれば、陽になる。
12月21日からの世界がワクワクしてたまりませんね。ニューたえこ、ようこそ!
この世を天国だと思うから苦しくなる。
生き地獄だと思えば、感謝できると。
女神さんは、かなりサバサバして、実は人の感情を感じやすいわたしからしたら、一番裏表がなく。だから、嘘がなくラクな
温かなエネルギーの方。
そんな方でさえ、悩むことがあるぐらいだから。
わたしが悩まない方がおかしい。笑
わたしは、ある時から、試練や役割
わたしの役割は
負の連鎖を止める役割だと認識してる。
だから、善人ばかりを演じる場合ばかりじゃない。
悪人になって、より大きな意味の連鎖を止める役割の時だってある。
それは、ある程度 魂の計画にあって、人間がどうこうできるもんじゃないと思ってる。
光が大きければ大きいほど、闇も大きい。
ただ、闇に飲まれずに受け入れるしかないのだと思っている。
それこそがより、光に転じる、陽に転じることができると感じている。
陰極まれば陽になる。
さあ、反転するぞ。一本背負い。
わたしは、ただ自分が見捨てない自分でありたい。その為に正直に生きる。