落語若手家の話の
『しゃべれどもしゃべれども』
の国分太一君主演のお話で。
浅草や、江戸川が舞台で
今がダメで、どうにかしなきゃいけない
登場人物の色々な話
豊かな気分にさせてもらえました✨
少しずつ、皆さんが袖すり合わせながら、良くなっていくんですよね。。
それに、若手落語家さんのよう
時間のかかる、もしかしたら報われないか
もしれない。。でも好きなものを。
長く続けていくって。
とても見てる側からは、気持ちいいんだなあと思いました。
浅草は、そういう人に優しい。
一人前になるまでを、見守る優しさがある。
そういう落語や歌舞伎や相撲、着物みたいな日本独自の世界がやはり好きです。
基礎をしっかりしないと、必ず上にはいけなくて。
今の現代社会の。
給料さえもらえば、後は自分の責任じゃないとか言ってるみたいなのとか。
義務を果たさずにあーだこーだな感じや。
利益さえでれば、誰に迷惑かけても関係ないみたいな感じとか。
そういうのとは、真逆な感じがとても気持ち良かったなあ。
しかし、よくよく考えてみたら、これはまるで職人の世界の私で。
何から何まで自己責任な世界なんですね。
給料が出るわけじゃない(若手落語さんも多少は出てるらしい)老後なんて、売れなきゃ悲しいもんです。
奪いとろうにも、お客さんから認められてなんぼなわけです。
陽の目見なかった暁には、身内には、面倒かけるわけですよね?(若手落語家の母親役の八千草薫は、お金息子に貸しませんでしたけども)
陽の目見なかったら、それこそアウトなわけで、、(まるでうちの父親)
まあ、豊かな気持ちや清々しい気持ちは、与えてるわけだね、、。
母親役の八千草薫が良い味出してました。優しくも厳しい。落語なんか、自分の方が上手いっていうのも、アリな気がします。
つまりは、実はこの2つの映画が私の前に現れたのは、同じ事を指し示していたんです。
一晩寝たらわかりました!
マミーは、多動性障害を有する息子と母の物語。
これって、実は昔の彼氏にそっくり!
鬱病になり、うちに転がりこみ、たまにこんなだったよな~って、昔の彼氏。。
多動性障害だったのね!爆笑
なんだか、面倒ばかり起こす人やな~
キレると手に負えんな~とか思ってたけど、マミーの中にも出てくるような。
感受性が豊かで、芸術的な才能に溢れていて、優しくて、人を惹きつける魅力を持っているような側面も持った人。
多動性障害のプラスの面だと思われます。
私の弱点は、プラスの面が見えてたら、マイナスが気にならなくなるところ!
あははははは
マミーは、ハード版。ミュージシャン作りだしそうなヨーロッパ版。
しゃべれどもしゃべれどもは、ソフト版。落語家とか職人生み出しそうな日本版だったわけでした。
つまりは、母側の目線か、息子側からの目線か、というだけでした。
マミーのママみたいな目にあった私は、人の世話するって愛がないと、て~げ無理やな、とそのとき初めて私を育てた母の偉大さに気付いたわけでした。
しかし、この頃に私は自分の奥底に眠っていた自分の愛の大きさにふと、気付いていくことになりました。
いや、実はもう謎が解けかけています。
終わらんから、、続く。