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作家は短篇に真価をのぞかせると宣言してみよう。私たちは(私だけかも知れないが)尺の長くなればなるだけシナリオと小説の区別がつかなくなってしまう。
著者
しかしながら今回は短篇集である。カタルシスへの射程距離が短いぶん滞空時間も短くなり、その代わりに発見できるのは軽快な足どりである。ホップ・ステップのくり返し。それはただのスキップであり、ルンルンなのかと問いたくなる。その解は、ルンルンなのである。
全体を通奏低音するのは〝藤子・F・不二雄〟感である。この作家を知らないひとも多かろうけれども、『ドラえもん』や『キテレツ大百科』あるいは『チンプイ』などマニアックな作品を多く著し、手前味噌だが私も幼少期に藤子作品によってサイエンスフィクションの洗礼を受けている。パラレルワールドにせよ鏡像世界にせよタイムパラドクスにせよ、現在すっかりどのジャンルでも一般化したSF作法はすべて藤子とバック・トゥ・ザ・フューチャーが教えてくれた。
■メモリーズ
大友克洋『MEMORIES』で石野卓球が、ナゴムのひとでもコミックバンドのひとでもなく、いつの間にかテクノ界の重鎮になっていることを知った。さておき『メモリー』はほろりとくる良短篇に仕上がっている。前述した前ふりとしての痛み、これはその予兆を感じることができるだろう、けれども発動しない。蛇足的な最終段落もほっこりとさせる。しかし読んでいないひともいるだろうから、未曽有の凄惨なトリックが仕掛けられているのでおたのしみに、といっておこう。
■けものがれ、俺らの猿と/麦ライス、湯
つるつるの壺とは現代でいうところのTENGAだったのかも知れない。さておき『猿湯』は梶井基次郎的風情を感ずるいわゆる文学的な空気をもった短篇、私は一番好きだ。キャラクター的にも。読んでいないひともいるだろうから、蒲団をのべにきた若い女中に「旦那様注射をなさるのでしたら、私にもして下さい。メタボリンは脚気にいいんでしょう」といわれ、こっそりロンパンを打ち眠っている間にすっかりことをすませてしまう、というシーンがどきどきしてよい。といっておこう。
■愛のロケット
かつてスウェーディッシュポップブームというものがたしかにあり、あの原田知世でさえも唄っていた。それにしても原田知世の噂はひどい。ひどすぎる。さておき『宇宙旅行は準備八割』である。ここからはタイトルに謳っている〝ほか〟ということになる。
これまでの二作が私小説的に読めるとすれば(主人公が〝佐藤〟というだけだが、絶対数の多い記号的な苗字でさえ作家性というのは像を歪める。それはさくらももこ『かみのちから』で観賞用のヤマモトというのが、非常に好きな設定であるにも関わらず私はどうしても記号的に読めない、というように)本作の〝装甲〟とはメタフィクションではなく、いわゆるサイエンスフィクション的用語だろう。
たとえば牟礼鯨という作家には、彼の創出した〝ダール神の支配するセカイ〟という装甲がある。これは如何なる残酷なことが起ころうとも、読者であるあなたは物語であるということを約束されているということであり、物語に於ける残酷から逆説的にあなたを守っている、ということになる。そのためにはリテラシーを求められるが、そこには等価以上の対価があるだろう。これが物語だ。
かくしてサイエンスフィクションに装甲された物語にあなたは癒されるであろうし、まだ読んでいないひともいるだろうから、これはロケットという男根を太陽黒点に挿入するじつは幻想比喩文学なのだと書いておこう。そしてこの短篇集にはあと一〇五の短篇が収録されていると書いておこう。一作品一〇〇円を切っているので血のでるようなサーヴィスが叫ばれている。
著者を起訴します。