水木しげるにみせたい白隠展 | 山本清風のリハビログ
 禅、とはなんだろう。



「犬に仏性はありますか?」
「無!」



 ちょっと喰い気味かつ否定、というやりとりに爆笑した高校生の私は、岩波文庫版『無門関』の表紙だけ覚えていたけれどもいわゆる「そもさん」「せっぱ」の禅問答を、私はアニメとチベットのドキュメンタリーでしか知らない。と同時に「虎を! 虎をだしてください!」と浴衣のはだけた大泉洋の勇姿がまぶたに浮かぶ、だがこれは記憶の横すべりであるだろう。



 禅を知らない私の禅に対するイメージとは、不可能問題。答えのでない果てしない思考、討論、しかしその運動自体に価値をみる。命題に対する解答はつねに変化してゆく。時代によって、シチュエーションによって、天気や気温によって、だが流動的な答えとはぶれているというより動的であり、ひとつの命題からパラレルに解答が得られてなお、凛として命題がある、という〝たちどまらない思考〟が禅である。



 と、知らないので勝手に書いてしまう。私のイメージのなかで禅とは哲学であり、詭弁に悪用されるものでもある。たとえば〝隻手音声(せきしゅおんじょう)〟を説明され、「深いなあ」と云っているひとの顔は、思考しているひとも思考停止しているひともわりとおんなじ顔をしている。果てしない思考の海へこぎだすひとの目と、思考をやめてしまったひとの目がおなじ半眼であるのは偶然ではない。アルカイックスマイルさえたたえていたりする。



 だが詭弁であったとてもそれが自己との対話であれば、他者は迷惑をこうむらない。私はそういうのが好きである。自己完結されること、自己の内宇宙はじつは外宇宙とつながっている、みたいなものが。勝手なイメージの勝手な片思いだが、そう考えたとき、禅は私のなかで勝手に身近になった。



 西田幾多郎の思想が禅の体系にあると考えたとき、〝矛盾的自己同一〟とは私が手さぐりで書いてきた作品のテーマをひと言で表すのに、きっと、もっともふさわしい。きっと、というのは私はまだ西田幾多郎を読んでいないからであり、禅も同様であるため勝手に属性された禅、あるいは西田幾多郎が迷惑しないように、きっと、と前置きをした。きっと、というのは可能性のことで、希望的観測を含有する語である。まあ、私のことはどうでもいい。



 さて、私は白隠展にいってきた。『ぶらぶら美術・博物館』でとりあげていて、これはいこうと思った。おもしろかったのだ。同時期にみた『日本人は何を考えてきたのか』の「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派」もおもしろくて、にわかに禅めいていた。好むところある六〇~七〇年代にかけても、映画や音楽では外国人が「フジヤマ、ゲイシャ、ゼン」と禅ブームをしのばせて、どうしてそんなにも流行ったのかと不思議だったのだ。



 YMOが継承した「間違った日本のイメージ」と神秘主義解釈された禅は、外国人にとりかつての日本画同様エキゾチックにうけいれられたのだろうが、ここでは関係のないことだ。ちなみにBunkamuraをたずねるのはおそらく『ブリューゲル版画の世界』以来で、それも『ぶらぶら』がきっかけだったのだからちょうど一周した感があった。



 入ってすぐに大きな『地獄極楽変相図』があり、卒業論文で地獄について書いたことを思い懐かしい想いがする。ああ、懐かしき地獄よ。閻魔大王を中心として十界図とよりぬきされた地獄絵図をかねていて、絵解きのためであると知れた。水木しげるが幼少期のんのんばあにつれられてみた地獄絵図に、おそろしいながらも想像力の遊ぶのをとめられなかった、というエピソード同様に、白隠も幼少期に地獄絵図をみて、地獄にゆきたくがないために仏教を志したというから、私は白隠と水木しげるとの間に通ずる川が流れていると思っている。写実とデフォルメの極端な緩急や、とびぬけたユーモアなど挙げれば枚挙にいとまがない。



 つぎは、ごんぶとの字でつづられた『南無地獄大菩薩』との書がよかった。これは禅の思想にもとづいた矛盾形容である。「ランニング状態で足を止めた」のである。しかし言葉あそびにもちろん終わらなくて、すなわちは二元論を鳥瞰した一元の目を云っている。のだと、あらかたのことは『ぶらぶら』ですでに語られているのである。というのも白隠展のピーアールのためテレビから『芸術新潮』などの特集記事にいたるまで、すべて同じ研究成果がもとになっているから。とまれ、実地の目でみる白隠展が最高峰であることは疑いようがない。



 あと私は『びゃっこらせ』がいちばんよかった。これは「よっこらせ」のようなかけ声と、白狐と、飛脚だかなにやら幾重にもだじゃれが遊んでいて、かつそれらがユーモアの層と風刺の層あるいは禅の層というふうにミルフィーユ状になっており、これは白隠の絵ぜんたいに云えるがそれにとどまらず、びゃっこらせが手紙とともに運んでいるのは鬼の手であったり、躍動感や表情が半端ではない。ぱねえ。一等よかったのは、着ている着物にたくさん〝赤飯〟と書いてあること。意味はあるのだろうし、演技もいいのだろうけれど、おもしろすぎるのである。私だって〝白米〟とプリントされた赤いTシャツを着て二日酔いで会社にあらわれたら、みんな笑うだろう。



 後半に白隠の書ばかりをあつめた一角があった。ふむ、『親』か。説明書きには「親字」と書いてある。ふむ、『南無不可思議光如来』か。なるほど。ふむ、『北野天満宮』か。説明書きには「北野天満宮」とある。これが、よかった。細君も気になったらしく、「しかもみた? 島根のお寺が持ってるんだよ。ほかの寺社の名前もらってどうするのかな?」と云っていた。しかし私だって、木多康昭が模写したとりやまあきらのサインに「山本直樹さんへ」と書かれていてもきっと、大切にするだろう。そのようにいま思った。



 さて、白隠展はそろそろ終わる。文章ももちろん終わるのだが、会期が終了するのである。私はこの文をアフェリエイトでもステルスマーケティングでもなく書いたため、明日の業務と家庭をかえりみないことはほめられないが、楽しく書けた。読んだひとが「ああ、いけばよかったなあ」と思うようにと、書いた。