読者子に捧ぐ | 山本清風のリハビログ
社会は道徳を説いているが、

その社会が不道徳に満ちている実際など

百年前から知っている。



不正、不倫、不況、不渡、

或いは

不適切、不誠実、不明瞭、

或いは更に

不確実、不道徳、不条理、

曰く、―――不可解。



しかし煩悶終に死を、決しない。



それが百年以前よりつづく、

社会の本質だからだ。

そこに暮らしている私たちが社会を

全否定するのは、人間やめますか?

或いはアセンションの可能性がある。

そんなに簡単な話ではない。



ただそれは

前ふりのない一発ギャグと同じで

つまらないのである。

流行でしかない笑いに価値はない。

道理で社会には安直があふれている。



では、道徳はどこにあるかというと

物語のなかにしか残されてはいない。

社会とは不道徳で、不条理であり、

これではあべこべなのである。



不条理に癒されるということもある。

しかしそれは社会に癒される

ということでは決してなくて、

物語のなかにしかない道徳を前ふりとし

物語のなかだけに於いてのみ展開される

不条理に、癒されるということである。



不条理に癒されるということもある。



*



サイエンスフィクションに

現実が追いついてしまった

人間は自らの想像力を

信じられなかったのか?

現実に起こりうる事柄、さえも。



驟雨が走り

傘を、貫く。



*



共同幻想では癒されない。

私たちのために創られた物語では

個人を照射できない、それなのに

物語はいよいよ個人的な顔をして

共同幻想を強めようとする。



共有可能な物語に

慰められてしまう。



自分を単純な記号におとしこみ

キャラクターの衣装に身を包み

短詩形で書きこみをするのだ。



或いは共有可能なアイドルを愛す。



かつてアイドルは叶わぬから

自分だけのものにしたかった。

だがみんなで育てたアイドルは

自分好みにカスタマイズ可能な

共有可能のアイドルなのである。



仲良く手と手を繋げることを喜ぼう

社会も実現できなかった平等の世界

短詩形の、同様に内容も単調極まる

呟きの世界へようこそ。



それを責めようなんて思わないが

本当の自分をわかってくれる人は

どこにもいない、だなんて云って

人を刺したりするな。

人を、傷つけたりするな。

それが結果なら責められるべきである。

共同幻想はあなたを癒さない。



村上春樹では癒されないあなたに

わが文学を捧ぐ。