日本は、米国のビザ免除プログラムの対象国になっています。したがって、日本人は、原則的に米国に入国するためにビザ(査証)を取得する必要はありません。しかしながら、米国はテロ防止対策の強化から入国審査基準を厳格化しており、ESTAElectronic System for Travel Authorization)渡航認証というシステムを導入しています。
 
ESTA(渡航認証)に関し、米国大使館のウェブサイトは、「ビザ免除プログラムに基づく米国への渡航の安全を強化するために、ビザなしの渡航の要求基準が強化されました。ビザ免除プログラムが適用される国の国民は、まだビザなしで旅行する資格がありますが、米国に渡航する前に渡航認証を取得する必要があります」と説明しています。
 
ちなみに、このESTA渡航認証の質問B) に「これまでに不道徳な行為に関わる違法行為あるいは規制薬物に関する違反を犯し逮捕されたこと、あるいは有罪判決を受けたことがありますか?Have you ever been arrested or convicted for an offense or crime involving moral turpitude or a violation related to a controlled substanceという質問があります。ここで「不道徳な行為に関わる違法行為」an offense or crime involving moral turpitudeには具体的にはどのような行為が含まれるかが問題となります。
 
では、この質問に実際には破廉恥罪で逮捕されたことがあるのに、“NO”と回答した場合にはどうなるでしょうか?答えは、ケース・バイ・ケースというのが正解です。なぜケース・バイ・ケースと言い得るのでしょうか。それはアメリカ国務省側が逮捕情報を保有している場合もあるし、していない場合もあるからです。世界各国の捜査当局は、ICPO経由で又は各国の捜査機関同士の情報交換により、犯罪者に関する公安情報を共有している場合があります。また、アメリカ国務省は、反米主義者やテロリスト等の危険人物をリストアップした独自のブラックリストを保有していると考えられます(1952年から、マッカラン・ウオルター法に基づいて数十万人が危険人物としてリストアップされた。アメリカ国務省の機密文書として非公開。現在も機能しているかどうかは不明だが、少なくとも1990年代までは存在していた。これは共産主義者排斥のために吹き荒れたマッカーシー旋風の名残でもある。1992年に毎日新聞出版社から出版された「アメリカを訴えた日本人―自由社会の裂け目に落ちて」に紹介された矢谷事件に有名。)。
 
ちなみに、米国大使館側は、起訴猶予の場合には、申請者に犯罪事実を説明した英文説明書を、有罪判決が出た場合には、裁判書に英文翻訳を添付して提出することを求めています。米国大使館側は、犯罪事実が米国入国拒否事由に該当するか否かを検討し、該当すれば、入国を拒否又はビザ発給を拒否します。仮に申請者がNO”と回答した場合でも、申請者がビザ申請の段階で公安情報にリストアップされていれば、米国大使館側は、ビザ発給を拒否するか申請者を呼び出して説明を求めます。仮に申請者の嘘が米国入国後に発覚した場合には、逮捕され国外退去を求められる場合もあります。実際にそのような例もあります。
 
ところで、「業務妨害」で逮捕されたが起訴猶予になった私の知人の一人が、H-1B(ワーキングビザ)を申請する際に、上記質問に“NO”と回答したところ、アメリカ大使館側から呼び出されて、担当官から「あなたは本当に逮捕されたことがないのか?」との質問を受けました。同人は、どうも担当官が自分の逮捕事実を知っているようなので、正直に”YES”と答えると、担当官から「逮捕事実を詳細に説明した文書を提出してください」と言われました。結局、日本の刑法上の「業務妨害罪」が米国国務省の入国拒否事由に該当する犯罪ではなかったので、H-1Bビザは発給され、同人は、アメリカに入国できました(http://blogs.yahoo.co.jp/marvellous157/6926640.html)。なお、同人は、共産主義者、反米主義者又はテロリストのいずれでもなく、単に「業務妨害罪」で逮捕され起訴猶予になった一般人にすぎませんから、アメリカ政府が同人の逮捕情報を保有していたことは驚きです。
 
前記「アメリカを訴えた日本人―自由社会の裂け目に落ちて」の主人公・矢谷暢一郎氏は、ヨーロッパの学術会議に出席し、アメリカに再入国する際にJFケネディ国際空港で入国拒否され拘禁施設に拘束されたのですが、同時点で矢谷氏は既にアメリカに9年間ほど居住していました。ただ、矢谷氏は、事件当時、未だに永住権は取得していませんでした。矢谷氏は、現在、ニューヨーク州立大学の教授であり、事件当時は、ニューヨーク州立大学の助教授でした。彼は、1960年代に学生運動に参加し公務執行妨害罪で逮捕され執行猶予付の懲役刑で有罪判決を受けていました。問題は、どこから矢谷氏の犯罪歴が漏れたかということですが、日本の公安当局がアメリカ側に矢谷氏に関する公安情報を提供したと推定されます。結局、矢谷氏は、アメリカ国内の支援者が協力し、アメリカ国内の裁判で勝訴し、入国を認められました。
 
同様の事例として、1969年に東大紛争に機動隊を導入することに抗議して東大教授を辞任した日高六郎氏の例があります。日本政府は、日高六郎氏が以前にオーストラリアの大学に教授として招請された際に、オーストラリア政府に働きかけて同氏に対するビザ発給を阻止しようとしました。日本政府は、同氏が日本赤軍に属するという公安情報をオーストラリア政府側に提供して、これを理由としてビザを発給拒否させようとしました。しかしながら、オーストラリア政府は、査問委員会を設置して同氏に対するビザ発給拒否が適当かどうかを慎重に検討し、結局同氏に対するビザ発給拒否には正当な理由はないとの結論に達し、同氏のビザは発給され、同氏は、オーストラリアに入国できました(「日本人をやめる方法」杉本良夫 1990年 筑摩文庫)。 
 
上記の有名な事例に限らず、日本政府は、外国に渡航するのが好ましくない人物に対して外国政府がビザを発給するのを阻止するために公安情報を利用する場合が時々あるようです。そして、明らかに根拠がない虚構とも思える理由を使うこともあるようです(例えば、一般人を暴力団関係者とした公安情報を流す等。)。