聖書によれば、現在は未だに創造の第7日であり、安息日です。例えば、創世記2章15-25節の出来事は、創造の第6日の最終部分で起きましたが、これらのすべてが24時間の1日のうちに起き得ないことは明白です。また、イエスは、自らを「安息日の主」と呼び、一世紀当時も未だ安息日中であったことを示唆しています(マルコ2:28、ルカ6:5)。そして、古代イスラエルでは、安息日にはいかなる労働も禁止されていました(出エジプト20:8-11)。また、この掟は極めて厳格で安息日に労働する者は死刑に処せられました(出エジプト31:14-15)。これは神の安息日に対する厳格な規律を示しています。そこで、パリサイ人は、イエスに対して、言いがかりを得ようと、「安息日に病気を癒すことは許されているか」と質問しました。勿論、イエスが病人を奇跡的に癒していたからですが、これに対して、イエスは、「安息日に1匹の羊が穴に落ちているのに、これを助け出さない者がいるか。・・・安息日に良いことをするのは許されているのです。」(マタイ12:9-14)と答えられました。
 
勿論、安息日が明ける翌日まで待てば、穴に落ちた羊は死んでしまう可能性が極めて高いでしょうから、人間の常識的判断に従っても、安息日でも羊を穴から助けることは正解でしょう。ただし、神の掟および原則からもこれが当然という結論は出せないものと思われます。というのは、上記のようにモーセの律法下では安息日に労働することは死刑に該当しましたし、イエスの例えの状況設定も「安息日に羊が穴に落ちる」という緊急事態での例外的状況を想定しており、それが常態または原則ではないことは明らかだからです。すなわち、反逆した人類の子孫を救済するために創造の第7日、安息日に神が様々な目的を立て、救済措置を採るのは、緊急事態だからこそ認められる例外的措置ということになります。もし神が緊急事態に例外的措置を採ることを許さなければ、人類は絶滅し、人類の存在が神の地球創造の目的の中心的存在である以上、神の地球創造の目的自体が挫折することになります。
 
パリサイ人のイエスに対する問いは、サタンの意図を反映した問いになっています。もしパリサイ人の教条主義的な問いの通りに、イエスが安息日に病人を癒すことが許されないとすれば、神は、緊急事態に対する例外的措置として人類救済のための手段を採ることができず、人類は絶滅し、神の地球に対する創造の目的は挫折することになります。
 
ところで、アダムとエバが罪を犯した時に未だ彼らには子供がいませんでした。もし仮にアダムとエバが罪に対する裁きを受け死んでしまえば、彼らの子孫は残らず、人類社会を形成するという神の目的は潰えます。確かに、中には、「アダムとエバが裁かれて死んでも、神は新しい人間夫婦を造り彼らから人類社会を形成できるではないか」と考える人々がいます。しかしながら、アダムとエバが罪を犯したのは創造の第7日「安息日」であり、新しい夫婦を創造し創造の第6日に行われた創世記2章15-25節の創造のプロセスを創造の第7日の安息日中にやり直すことは、既に述べたように、神の「安息日」に関する厳格な規律に反しました。さらに、創造の7日間は第7日目の安息日が終わったら再度創造の第1日目から繰り返されるのではなく、地球に関する創造の日は7日間が一巡すれば二度とは再開されません。すなわち、地球の創造の7日間は一巡のみであることにも留意する必要があります。同じ惑星・地球上の創造の日が何度も繰り返されると解するのは不自然かつ非論理的です。
 
勿論、アダムとエバに子がいれば、その子から人類社会は存続し得ました。そこで、サタンが作戦計画を「安息日」に入った後、アダムとエバに子が生まれる前に実行することは、神の制度及び計画を理解した上で成算を見込んでのことであったと考えられます。すなわち、アダムとエバの間に子がいない以上、彼らを裁いて死に処し、人類社会を根絶するわけにはいかず、同時に「安息日」に人類創造のプロセスを再開できない神の厳格な規律を熟知した上で、反逆した人類社会が形成されれば、サタンは少なくとも一定期間に渡り人類社会を自らの支配下に置けると考えて、サタンは自らの神に対する反逆計画を実行に移したと推測できます。実際、神は、アダムとエバを即日処刑できず、彼らはしばらく生きながらえて子孫を残し、彼らの子孫は人類社会を形成しました。
 
もし神がパリサイ人と同様に安息日に教条主義的に厳格に労働を禁じ、緊急事態における例外的措置すら認めなければ、人類は絶滅し、神の地球創造の目的は潰え、サタンの神に対する挑戦は成功したかもしれません。そうすれば、聖書全巻を整合的に理解すれば、神の支配する宇宙で神が知的生命体を創造された最初の惑星は、地球であり、しかも唯一の惑星ですから、神の創造の目的全体が挫折した可能性があります(創世記6:5-6「神は人間を地球に創造されたことを後悔された」)。サタンは、神が当然に原則通りに行動されると予測し、神の目的を挫折させることを意図し、神に対する挑戦の成功に成算があると考えたのかもしれません。しかし、本来厳格に原則通りにしか行動しないはずの神が原則通りに行動した場合に、神の目的が挫折し、サタンの挑戦が成功するとは誰が考えるでしょうか?ところが、神は教条主義的で厳格な対応をされずに、緊急事態における例外的措置を認められたので、人類に対するサタンの予想に反する結果が生じたのです。