聖書中には、神が時間を静止させ、過去に逆転させたと解される記述が各1つあります。神が時間を静止された記述は、ヨシュアがアモリ人と戦った際に、ヨシュアの求めに応じ、アヤロンの谷に太陽が丸一日止まり、ヨシュアのアモリ人に対する軍事行動を助けた際です(ヨシュア記101215)。神が時間を逆転された記述は、イザヤがユダ王国のヒゼキヤ王に対し、神がヒゼキヤの病気を奇跡的に癒し、敵であるアッシリア軍を打ち破る力をヒゼキヤに与えると約束した際に、ヒゼキヤがイザヤにこれが確かであることの徴を求めた際です。すなわち、イザヤが「アハズの階段上を影が十段前進するか、十段後退するか」どちらを求めるかヒゼキヤに尋ねると、ヒゼキヤは、「影を十段進めるのは容易だから、影を十段後退させてください」と求めました。すると、神は影を十段戻されました(列王記略下20章:ヒゼキヤの日時計)。
 
興味深いことに、アインシュタインの特殊相対性理論によれば、重力や加速の影響下では、物体上での時間は遅延が見られます。これは一般に「ウラシマ効果」と呼ばれていますが、例えば、光速の90%の速度に加速されている物体上では、静止物体上の44%しか時間が経過しません。すなわち、静止物体上で10年の時間が経過しても、光速の90%に加速された物体上では、4.4年の時間しか経過していないわけです。これを宇宙旅行に例えれば、光速の90%の速度で10年間宇宙旅行に行って地球に戻って来た人は、自分の時間レベルよりも5.6年も先の地球に到着することになります。

 
Δt’= 1(/c)2 Δ(特殊相対性理論の公式)のVは速度ですが、このV速度に光速に近い速度を代入すればするほど時間の経過が遅くなります。一方、Vに光速以上の速度値を代入すると、時間が過去に戻る現象が生じると解する人々がいます。しかし、高校レベルの物理・数学が理解できる方であれば、Vに光速以上の速度を代入すると、虚数解になり、このような物理的現象は存在し得ないことが解ります。現時点で時間の逆転を可能にする特殊相対性理論に対する物理的現象が存在することは未だに証明されていないと思われます。
 
とはいえ、ヒゼキヤが時間を進めることよりも、戻すことの方が難しいと述べたことの根拠が物理理論的発想にあったとは思えません。恐らくヒゼキヤの経験則に基づくものでしょう。しかし、このヒゼキヤの発言は、現在の最先端の物理理論の発見とも整合していました。旧約聖書中の奇跡的現象の背後にどのような仕組みがあるか、物理的にどのように説明できるかは人間には分かりません。これは、仕組みが明かされれば、人間の物理理論で説明可能かもしれませんし、不可能かもしれません。しかし、これは神には何らかの方法で説明可能なことなのでしょう。いずれにせよ、神には時間を静止させることも、過去に戻すことも可能だということです。
 
ある人々は、時間軸の自由な移動が可能な四次元を論じます。また、キリスト教徒の中には、神の住まう天と四次元を同視する人々がいます。しかし、聖書全巻を最初から最後まで見れば、神の住まう天も地球も時間の流れる方向は同じであり、しかも時間の流れる速度もほぼ同じであることを理解できます。明らかに天の時間の流れと地の時間の流れは同期しています。すなわち、聖書中で天の時間が地の時間と反対の方向に流れたとの記述は皆無です。
 
ところで、「過去に戻って人生をやり直せたら・・・」と述壊する中高年者が時々います。これは、希望に燃える若者よりも、過去の自分の人生の選択や判断の誤りを変更しても人生をやり直したいと考える中高年者の場合によく見られることです。しかし、たとえ人類の歴史がいかに非劇的でも、神は、時間を過去に戻して、歴史をやり直させたい考えないでしょう。なぜならば、神は、自分の選択や判断の誤りを後悔することはないからです(民数記略2319)。すなわち、時間を過去に戻して歴史をやり直すことは、神にとって自分の創造者・支配者としての誤りを認めるに等しいからです。