アイツのお話は一旦休憩。

今回はまた私の浅慮としか言えない行動や言動を振り返ろうと思う。
それについて触れようとしても、どこから触れたらいいのかすら分からない体たらく。
結婚を間近に控えた身で有りながらも欲望に負けた事からか、
それとも身の程も弁えずに、またも人を救いたい等と思った事か、
はたまた昨日彼女に取ってしまった態度か。




本当に私は愚かだ。
何度も同じような問題にぶつかっては砕け散ってきたではないか。
己の努力が足りないと感じては、ひたすらに心をすり減らしてきたではないか。
その都度身勝手な想いは砕かれ続けてきた。
その都度、二度と手を出すまいと誓ったはずであった。

しばしの休息の後に訪れてきた平穏な日々に満足できないのが罪。
心が癒え、余裕やゆとりができるとふと願ってしまう。
欲望のままに生きたいと。

しかしそれが叶わぬことは自分自身がよく知っているはずの罰。
なぜならその欲が大き過ぎるからだ。
私は欲張りなのだ。
だからこそ多くのものを願ってしまう。
欲してしまう。

物欲や金銭欲、性欲、そういったものではない。
人の心が欲しいのだ。
裏切ることのない、絶対的な信用、信頼、そういったものが欲しい。
渇望していると言い換えてもいい。
それくらい人を信用していない、できていない。

何故か?
それは私自身が人を欺いて生きているからだ。
私程度の人間がするのだ、他者がするのなんて当然であろう。
「人は大なり小なり罪を犯している」なんて言葉があるが
だからどうした?
としか言えない。

本当は信じたい、信頼したい。
でも信じられない、信頼できないから、その予防線を張るのだろう。

私は何か物事を考える時に、まず「自分ならどうするか?」を考える。
多岐に渡る選択肢が浮かび上がるが、私個人の答えは容易く出る。
しかし何故「考える」に至るかは、他者の見た目を、体裁を気にしてしまうからだ。
その中でより「私らしい」選択をする。
但しこの場合に於いての意味合いは世間体を気にしての事。
本当の私の答えなど選びようもない。
排他的思考ではあると思うが、「どうせ人には理解されない」と浮かぶから。
より一般的であろうとする。

でも。
極稀にいるのだ。
「人には理解できない」と思い込んだ部分を理解できる人間が。
そういった人間に対してはいとも容易く心を許してしまう。
しかし。
そういった感情や心境が理解できる人間と云うのは、
例外なく心に傷を負った人間なのだ。
だからこそ言葉が刺さる、染み入る。
「どうせ理解などされない」と高を括った心境であっても。
ましてやそれが私以上だと感じたなら尚更である。

今まで、とは言っても極々世間一般の平々凡々と暮らしている人間に対してではあるが、
私は、私の考えは異端であっただろう。
何度人から「お前は変わってるな」と言われてきたか覚えていない。
人と同じように生きるのが苦痛だった私には褒め言葉でしかなかったが、
一般人に言われても何も感じなかった。

骨を折った人の痛みは、同じく折った者にしか分からず、
心の傷なんぞそれ以外の何物でもない。
失恋の経験のない人間に、どうして失恋の苦しさが分かろうと言うのか。
世の中の大抵の薄っぺらい人間は口を揃えて言う。

「俺(私)も分かるよその気持ち」

お前に何が分かる!
お前に俺の何が分かる!
同じ状況になったこともない人間がどうして理解できる!

そして私を同情に塗れた目で見る。
だから私はいつからか他人に話すのを、相談するのを止めた。
どうせ理解されない思い、感情なのだからと。

そんな心を、心境を、感情を、理解してもらえる「かも」と思える人間に
出会ってしまうと話が変わる。




今までせき止めていた感情が、ダムが決壊したかのように押し寄せてしまう。
求めてしまう。
欲してしまう。
欲に 負けてしまう。