人は合理的に判断できるのか?
今日はなぜか全くMr.Childrenの詩とは関係なくて
たまたま友達と飲みながら話していたのがおもしろ
かったのでそのことを書いてみます、、、
で、内容はというとタイトルの通りなんですが、実際には
あることはしたい、あることはしたくないみたいなのはどう
選ぶかみたいな話をしていました、、、
人は、日々いろんなことを判断していると思います
例えば、朝ご飯をパンにするかご飯にするか見たいな
超身近な話から、将来こうなりたい、ああなりたいみた
いなことまで意識、無意識に関わらず判断していると
思います
では、その判断基準っていったいどのようにしているの
でしょうか?
ある人は別になんとなくって答える人もいるだろうし、
別な人は合理的にって答える人がいるかもしれません
特に、上のような判断ではなく、仕事上の判断なんかには
そう答える人が多いかもしれません、、
でも、同じ仕事をしていている同じ人が、お互い合理的に
判断をしていると思っている時に違うアクションを起こして
いたら、矛盾しているような気がします。。
というか、合理的な判断をしていると思っている人は
後付で自分の行動を合理的に説明しているだけだと
思います
そう考えると、人はそもそも合理的(客観的)に判断なんて
できるのかと思うわけです
商品Aを買うのも合理的なら、買わないのも合理的
ある女性を好きになるのも合理的なら、ならないのも
合理的!!
で、皆さん何の話かわかりにくいかもしれませんが、
結局人が判断しているのは客観的に正しいことではなく
主観的な感情なんじゃないかと思います
だから、人は駄目だとわかっていても人を傷付けて
しまったり、好きになってはいけない人を愛してしまったり・・・
感情って結局何の根拠もないけど!見たいな所から
始まると思うから、人はそれぞれ違うし、違う趣向を持って
いるんだろうな~
きっと合理的なら、皆同じ動きをするんだろうな~
だから、結構自分の感情を理解すると面白いなと
思いました
取りとめもなくすみません・・・