朝、会社に行くのに小走りでなんとなく違和感を感じる。

 

何かおかしい、左足の膝と足首から力が抜ける感じ…。

 

それでも、会社に着いて働いていて、なんの違和感もなく1日が過ぎる。

 

次の朝、満員電車の中で左足の脹脛(ふくらはぎ)が急に万力に締め付けられるような痛みを感じて立っていられない。

 

やむを得なず一度電車を降り、立っていることができずにホームのベンチに腰を掛ける。

 

しばらく座っていると、痛みが引いたので再び電車に乗るが、5分も経たない間に再び万力で締め付けられるような痛みが脹脛(ふくらはぎ)を襲う。

 

やむを得ず再び電車を降りる、ベンチに座り会社に電話をして事情を話、その後、ひと駅づつ乗っては降り休んで、乗っては降り休むを繰り返し帰宅し、1日休み次の日に電車に乗ると同じ状態になった。

 

会社に連絡し事情を話、上司の提案で3日休んで様子を見ることになった。

 

3日が過ぎ脹脛(ふくらはぎ)に痛みがないことを確認し、次の日に出社する途中、電車の中で今度は左足の腿(もも)の裏側の外側が万力の締めつけられるような痛みが出て脹脛(ふくらはぎ)の時と同じように会社に連絡し、なんとか帰宅して車で送ってもらい一番近い個人病院の整形外科へ行きました。

 

問診中、靴下を脱いで指を動かしてみると指の動きが良くありませんでした。

 

その結果、椎間板ヘルニアと診断され、その日は別の病院での検査予約を取り帰宅しました。

 

この日は、32歳の6月8日でした。

 

6月8日は偶然なのか…。

 

17歳の時、あたりどころが悪ければ死ぬ程の交通事故、救急指定病院の処置が悪く腓骨神経麻痺が起きていて、何度も回診ののたびに言いましたが、大学病院から来ていた2人の医師も、その病院の医院長先生もこのことに気づかす右足の指は全く動かない状態になり、このまま神経が全く戻らなければ、膝から下を放り落とすと医院長先生に言われました。

 

それ以前に、入院してからこの救急指定病院に来なくなるまでの間、何度も膝に溜まった大量の血液を注射器で抜いているのに、右足の膝の前十字靭帯と後十字靱帯の断絶も、大学病院から来ていた2人の医師も医院長先生もそのことに気付きませんでした。

 

まだ、麻痺が軽く全ての指が動いていた時に、この救急指定病院ではダメだと思い、別の大学病院に行きましたが、診察の順番を待ち診察室に入ると問診の段階で別の病院に入院していることがわかった途端、話も聞いてもらえず、足を見ることもなく、今かかっている病院で治療してくださいと言われ、診察拒否され返されました。

 

この時は悲しかった!

 

この時の大学病院の医師が、ちゃんと話を聞いて、足を見てくれていれば、たぶん、なんの後遺症も残らずに治っていたのではと思います。

 

当時、大学病院から来ていた医師の1人がこの救急指定病院の近くに整形外科の病院を開業するために準備をしていて、椎間板ヘルニアが専門の医師でしたが、

回診の時に話をしていても、上の空で話の聞き適当に対応しているなと感じました。

 

たぶん、この医師の開業がきっかけで、開業のタイミングで別の大学病院に変わり、そこから来た優秀な先生が素晴らしい見立てで状態を把握し、腓骨神経麻痺と前後十字靭帯が切れていることに氣がついてくれました。

 

発見後、早急に総腓骨神経剥離術という手術を受けました。

 

麻痺の期間も長く足首もアキレス腱が完全に固まっていたのですが、1回目の手術の後の半年が過ぎた頃にアキレス腱延長術という手術も受けました。

 

そんなこんなで、高校も1年留年し、卒業の時期に前十字靭帯、後十字靭帯の手術のをしたのですが、だいぶ時間が経っていましたので靭帯も溶けてなくなってい増田。

 

その為、腿(もも)の筋肉の一部を靭帯の代わりに持ってきて骨に穴を開けて通して靭帯を作るような前後十字靭帯再生術と言う名前だったと思いますが、そんな手術を受けました。

 

あるラジオで死んだと誤報があったくらい大きな交通事故でしたが、救急指定病院の医院長と大学病院の2人の医師によるいい加減な見立てによるいい加減な処置と、別の大学病院の診察拒否による右足の後遺症でしたが、今思えばそうなる種が僕にあったのだと思います。

 

話がずれてしまいましたが、この交通事故が17歳の6月8日で、左足の突然の痛みが32歳の6月8日でなんとも不思議です!

 

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