三郷市教育委員会発行の小学校3,4年生用教材がある。その表紙を見ると、三郷市発展の足がかりはインタチェンジにある、という事がわかる。

この教材は昭和45年に初版が発行され、左が平成8年の改訂版である。水田地帯の中に大きなインターチェンジが見える。中央は平成17年の改訂版、奥に大型団地が出現し、水田地帯が点々と施設ができている。右は平成27年の改訂版、インターチェンジは中心をずれ、手前に巨大な配送運輸施設、市の北に大型商業施設、水田地帯の区割りを残しながら、住宅をはじめ種々の建築施設が登場している。一面に広がっていた水田地帯は、どんどん市街化され、いわゆる虫食い状態を作り出している。「三郷のあゆみ」は昭和61年の空中写真を最後としてまとめられたが、この小学校の教材はそれ以降の三郷市の「発展」を示している。平成27年版の表紙写真にはないが、つくばエキスプレスの開通、三郷中央駅周辺の開発、新三郷駅周辺の開発などにより、三郷市の都市化が一気に進展し、イメージが一新した。マンションや都市施設が増え、昨年は人口14万人に達した。

 さて平成27年版の表紙に「三郷学」なる言葉が登場している。子供たちに三郷のことを学ぼう、というわけだ。内容は3っつに分かれる。1、身の回りの周辺のことを学ぶ。2、三郷の歴史や伝統を学ぶ。3、埼玉県のことを学ぶ。中でも水田と大場川についての記述は、三郷の特徴を示して興味深い。

 

 三郷市域は古利根川(現中川)と太日川(現江戸川)に挟まれ、川沿いは微高地(自然堤防)だが中央部分は湿地帯であった。この湿地帯の水はけのため大場川を作った。その結果大雨の度の水害が少なくなり、水田の範囲が増えた。(昭和10年ころ)それでも排水路としては不足しており、第二大場川の工事に取り掛かる。(昭和13年ころ~8年後の完成) 「三郷のあゆみ」の中で示された「悪水路」にほかならない。

 

 松伏、吉川、三郷では水田に水を引く用水路(二郷半用水、新田用水など)は出戸時代から整備されたが、大場川、第二大場川は昭和になってから整備されたことになる。排水路ととしての大場川はどこに流れてゆくか?江戸川にポンプで排水をしている。

 

 三郷排水機場(国土交通省)、大場川上流排水機場、大場川下流排水機場(ともに埼玉県)、茂田井排水機場がある。その他中川沿いにも市の排水機場がかなりの数配置されている。(排水を防ぐための施設より)

 

 カスリーン台風による水害は昭和22年で、大場川、第二大場川の整備の後に起こっている。その後も何度も水害が起こっている記述があるが、ずいぶんと少なくなっている、との記述もある。水害のたびに、いろいろと対策を講じてきていることが想像できる

 

「私の三郷学」として改めてテーマ設定をしたい。

1、「水と緑の街三郷」はどのように実現され、どのように実現を阻まれているか。

2、江戸川と中川の堤防に守られた三郷市域は、現在どのような防水害対策が講じられているか。

3、「きらりと光る田園都市みさと」とはどのような将来像であるのか。

 

テーマ1、及び2は密接に関連している。低湿地帯であったこの地域に水があることは当然のこと。その水をコントロールし、農業にも市民生活にも安全で有用なものにする、という事だろう。そしてその姿はテーマ3を具体的にイメージすることで、「きらりと光る田園都市」が実現に向かうだろう。単にキャッチフレーズを叫ぶだけでは虫食い状態の現状を見ると、農業と市民生活が「邪魔者どうし」という事になりかねない。