フランスのW杯優勝支えた「アンサングヒーロー」
日本経済新聞編集委員 武智幸徳
サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会はフランスの20年ぶりの優勝で幕を下ろした。決勝で初優勝を狙ったクロアチアを4―2で下し、デシャン監督は選手と監督の両方でカップを頭上に掲げる、史上3人目の監督となった。若さあふれるフランスの優勝は、このチームに黄金時代が訪れる可能性も示唆したのだった。
フランスの優勝を振り返るとき、駆け出しの記者時代に同じ運動部の大先輩である浜田昭八さんに教えてもらった「アンサングヒーロー」という言葉を思い出してしまう。米国のプロスポーツ界で使われる言葉らしく、試合で活躍し目もくらむほどの脚光や大量の賛辞を浴びるスター選手の傍らには、必ず縁の下の力持ちとしてチームを支えた「歌われないヒーロー」がいる。そういう自ら功を誇るでもなく、黒子に徹した選手をたたえるときに使うのだそうだ。
■ベンゼマにないジルーのよさ
今回優勝したフランス代表でいえば、CF(センターフォワード)のジルーがそうだろう。フランスの前線はグリーズマンとエムバペがそれぞれ4得点ずつ挙げて優勝に貢献した。
決勝戦でもグリーズマンは先制のオウンゴールを誘発するFKを蹴り、勝ち越しのPKを決め、エムバペも粘るクロアチアに引導を渡す4点目のミドルシュートを突き刺した。
この2人に挟まれたジルーは谷間に咲く花のようにあまり目立たない存在だった。チャンスがきてもシュートはなかなか決まらず、結局大会を通して無得点に終わった。記録に残るのは、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でエムバペのゴールをお膳立てした1アシストくらいだった。
それで大会前も大会中も(おそらく大会後の今も)「ジルーよりベンゼマを呼んだ方がよかったのではないか」と、ずっと議論の的になってきた。
ベンゼマというのは前回ブラジル大会は10番をつけて出場、3得点した非常に優秀なCF。ボールを収める能力とスペースをつくる動きのうまさは天下一品で、所属先のレアル・マドリードでは長年にわたってクリスティアノ・ロナルドのよき相棒を務めてきた。
単純に個人能力の足し算でFWの構成を考えたら、グリーズマン、ベンゼマ、エムバペと並んだ方が相手にとってはるかに脅威に思える。しかし、このCFは同僚のフランス代表を恐喝する事件に絡んだと疑われ、それ以降はデシャン監督から呼ばれることはなくなった(ベンゼマ本人は事件と無関係だと主張している)。
それにジルーにはベンゼマにないよさもあった。前線で非常に真面目に守備をすることだ。
エムバペの爆発的なスプリント力を生かすためか、フランスはチームとしてこの19歳の若者に無駄な足を使わせないようにしていた節がある。前線でしっかりボールを追って守備をするのはジルーとグリーズマンで、エムバペは適当に遊ばせていたというか。ジルーには相当な負担がかかったはずだが、この193センチの大男は黙々とその作業をこなした。
前線でぶらぶらするエムバペは守る側には厄介でもあった。守備に参加しないということはボールと無関係な位置にいられるということ。ボールを取って取られてという切り替えのところのホットな密集戦に加わらないから、マークが外れやすい位置に常にいる。相手のCBはピッチの中央部分にポジションを取ることが多く、両サイドはすかすかになっている。マークから浮いたエムバペがあのスピードで、両サイドのスペースに向かって走ったら、ついてこられるDFなど一人もいない。
そこからは独力でシュートまで持ち込むもよし、CBを外に引き出した後で中央の味方に折り返すもよし。
優勝後、デシャン監督は「ピッチの中と同じく、人間関係でも大事なのはバランス」と語った。31歳のジルーは年の離れた末の弟の面倒をしっかり見る真面目な長兄の、27歳のグリーズマンは長兄とやんちゃな末っ子の間を陽気に取り持つ次兄の役回りをしっかりと演じた。そういう関係の中でエムバペも伸び伸びとプレーできたように思うのである。
ある意味、損な長男の役割をしっかり引き受けたジルーには、デシャン監督もグリーズマンもエムバペも心の底から感謝しているのではないだろうか。
そしていつの日か、エムバペが長兄になって若い選手を後見する時代が来たら……。
それができるだけの人間的な成長とプレーヤーとしての進化をエムバペが遂げられたら、彼もフランス代表も「1970年のブラジル(ペレとブラジルが3度目のW杯優勝を果たし、ジュールリメ杯の永久保持を成し遂げたメキシコ大会の伝説のチーム)」に迫ることが本当にできるかもしれない。
■ポゼッションサッカーが衰退?
ロシア大会が終わって、いろいろな総括がなされる中で、一つ不思議に思うのは、スペインやドイツが早期に敗退したことで「ポゼッションサッカー」が衰退し、これからは「カウンターの時代が来る」といった議論がまことしやかになされていることである。どうしてそういう偏った話になるのかさっぱりわからない。
少なくとも私は、今回のW杯を見ながら、そういう結論にはまったく達しなかった。むしろ逆に「やっぱりチームは、選手は、何でもできないとダメだな。引き出しの少ないチーム、選手はどんどん置いてけぼりにされるな」という感想を強く持ったのである。
サッカーはゴールを奪う競技、ゴールを守る競技である。相手の穴を見つけたら、その穴があるうちに突く、味方に穴を見つけたら、その穴を急いで塞ぐ、というゲームである。だから、その穴を塞がれる前に攻める速攻の大事さは今に始まったことではない。
欧州予選で敗退し今大会は参加していないイタリアは昔からずっと速攻の哲学を大事にしてきた。そして、ボールポゼッションを大事にする人々からは「守って速攻ばかり」とバカにされてもきた。
速攻は大事だが、穴を塞がれたらお手上げ、では困るのである。素早く攻めれば、その穴を修復する前に突けるのにむざむざと時機を逸するのは愚かだが、穴を塞がれた途端に何もできなくなるのも寂しいということで。
速攻から遅攻のフェーズに切り替わったら、今度は自分たちでボールを動かしながら人為的に穴をこしらえにかからないといけない。それができないと「無策」のそしりを受けることになる。
今回の日本代表が世界から好意的に迎えられたのは状況に応じて攻め口を変えられる柔軟性があったからだ。カウンターかポゼッションかではなく、「ちゃんとサッカーができるじゃないか」と思われたのである。
日本代表の西野朗監督がそこを目指したことは明らかだろう。1次リーグ初戦のコロンビア戦の後に「強いコロンビアを相手にリアクションになる時間が増えるのは仕方ないが、ボールを持ったときにはこちらからアクションできる構成にしたいと思った」と柴崎岳や乾貴士、香川真司の起用を語った。それはマイボールにしたときはちゃんとサッカーがしたいという意味だったと私は解釈している。
今大会の得点にカウンターやセットプレーが目立ったのは確か。日本のようにセットプレーからの失点が多いチームは今後、攻守両面でセットプレー対策を入念に積んでいく必要がある。しかし、攻撃に関しては「ポゼッションは×、カウンターは○」みたいな安易な議論に乗るべきではない。
サッカーはタイミングがすべての競技である。いつ、どこで、誰と、何を、どうするか、について、ピッチにいる選手同士の判断をジャストのタイミングでシンクロさせる必要がある。
■「サッカー」をやればいい
そのタイミングは、現れては消え、消えては現れを繰り返す、蜃気楼(しんきろう)のようなもの。そのジャストのタイミングをとらえる目を戦術眼というのなら、そういう具眼の士をたくさんそろえることの方がよほど大切だと思っている。そういう目を備えた選手が集まれば、速くしても遅くしても「サッカー」はできるはずなのだ。「カウンター」か「ポゼッション」かの二者択一ではなく、「サッカー」をやればいいのである。
ロシア大会を見ながら、今後の方向性としてサッカーは、どんどんバスケットボール化していくような気もした。相手陣内には簡単に入れるけれど、ゴール前にはたくさん守る人間がいて、なかなかシュートを打たせてくれない。シュートを外してボールを取られると、すぐに自陣に戻って今度はこちらがゴール前を固めて、相手を同じように困らせる。そんなことの繰り返し。
そこから先、ゴールを奪うには、そうやって守りを固める相手を崩すプレーブックのようなものが用意される気もする。たとえば、バスケットボールやアメリカンフットボールのように攻め手の動きを複雑にパターン化し、ドリルのように習得させてシュートまで持っていくみたいな。そういう新たな遅攻の形を考えている策略家が既に世界のどこかにいるのではないか。
ただの予感でしかないが、相手を押し込んだ後に何をするかということに関して、新たな突破の方法が4年後のW杯までに編み出されている気がする。いや、編み出した者が覇権を握るというべきか。
日本代表の新監督にはその「開発競争」の先頭に立ってほしいくらいである。
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チームのアンサングヒーローは誰かな?
点を取った、点を守った、誰の目にもわかりやすく評価しやすい選手だけでなく、分かりにくいが色々な場面でチームの底辺を支えてくれている選手にももっと脚光が浴びるようにしていきたいな。
