今回は、体軸理論的「評価の極意」シリーズです。テーマは「抽象度」について書いていきたいと思います。今回の内容も前回からの評価シリーズに続いていますので、合わせてご覧下さい

そもそも抽象度とは何か?と言うところからお話しいたします。以下の図を見て下さい
上の図で書かれているのは抽象度の図です。簡単に説明しますと、「タマ」という単語は「ネコ」という単語に含まれています。ということは、ネコよりネコのタマの方がより具体的になります。さらに具体的にするためには、「渋谷区代々木○丁目の○○家のネコのタマ」の方がより具体的になります。逆に抽象的な表現になると、「ネコは哺乳類」→「哺乳類は地球上の生物」となります。もうお分かり頂けたと思いますが、抽象度が上がるにつれ、その単語に含まれる意味合いは多くなります。また、具体的になると言うことは名詞と言う単語になります。
現在行われている研究やリハビリで行われている評価の多くは、科学の進歩により具体性を見ると言う事に特化しています。評価における各関連書籍も非常に細かくかかれ、ある一部の組織異常も評価することが出来る様になってきました。しかし、なぜそこを細かく見るという条件が生まれたのでしょうか?
勿論、ガンや潰瘍など組織そのものに損傷ないし異常が発見されそれを見つけていくことは必須です。そしてこれに対して問題を「対処」することも必要になります。しかし、このような組織の状態になってしまったという事実の「解決」には至らないこともあります。(対処を重ねて問題”解決”することもあります。)
最近リハビリではよく言われています「木を見て森を見ず」または「森を見て木を見ず」という言葉があります。結論から言えばそれも評価すればよく、どちらも同時に行うべきであると言うのが「問題対処」「問題解決」において重要となります。
最近の評価にはこの「抽象的な評価」がかけているように思えます。あえて抽象的な評価と言えば「各関節、筋、内臓、脳、神経の連動によって起こる動作の分析」であると言えますが、近年ではこれも具体化しすぎてる面があります。歩行は歩行、寝返りは寝返り、立ち上がりは立ち上がりというような状況です。抽象的にとは、その人の動作全体を捉えると言う事です。
上記の事から考えると、もっと「ボーッとした評価」「ボヤーッとした評価」をするべきではないかと思います。実際に臨床上優れた評価をする人は、必ずこの「ボーッと見る」と言うことを意識的にも無意識的にも行っています。
今回のこのシリーズはとても重要な事ですので、何回かに分けて書いていきたいと思います。
最後までお読み頂ありがとうございます。
現在行われている研究やリハビリで行われている評価の多くは、科学の進歩により具体性を見ると言う事に特化しています。評価における各関連書籍も非常に細かくかかれ、ある一部の組織異常も評価することが出来る様になってきました。しかし、なぜそこを細かく見るという条件が生まれたのでしょうか?
勿論、ガンや潰瘍など組織そのものに損傷ないし異常が発見されそれを見つけていくことは必須です。そしてこれに対して問題を「対処」することも必要になります。しかし、このような組織の状態になってしまったという事実の「解決」には至らないこともあります。(対処を重ねて問題”解決”することもあります。)
最近リハビリではよく言われています「木を見て森を見ず」または「森を見て木を見ず」という言葉があります。結論から言えばそれも評価すればよく、どちらも同時に行うべきであると言うのが「問題対処」「問題解決」において重要となります。
最近の評価にはこの「抽象的な評価」がかけているように思えます。あえて抽象的な評価と言えば「各関節、筋、内臓、脳、神経の連動によって起こる動作の分析」であると言えますが、近年ではこれも具体化しすぎてる面があります。歩行は歩行、寝返りは寝返り、立ち上がりは立ち上がりというような状況です。抽象的にとは、その人の動作全体を捉えると言う事です。
上記の事から考えると、もっと「ボーッとした評価」「ボヤーッとした評価」をするべきではないかと思います。実際に臨床上優れた評価をする人は、必ずこの「ボーッと見る」と言うことを意識的にも無意識的にも行っています。
今回のこのシリーズはとても重要な事ですので、何回かに分けて書いていきたいと思います。
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