1991年、東京都○○市。国際救援センターから出所した僕たち一家が向かったのは緑豊かな住宅街の中にある二階建ての古びたアパートだった。センターの斡旋で父親の仕事が決まり、会社の寮として使われていた。六畳一間の、4人で暮らすには狭い部屋だったけど、はじめての自由な暮らしに安堵した。
僕は小学校転入の手続きを待っている間、センターの交流行事であるホームステイに参加することになった。外国の子どもを対象に、日本の一般家庭に2泊3日で日本での暮らし、生活、文化について学ぶことを目的としたものである。このときの僕の日本語力は今思えば保育園児にも劣っていたと思う。
ホームステイ1日目。センターの職員に連れて一緒に向かったのは閑静な住宅地にある一軒家だった。優しげな表情のご主人と奥さま、同い年ぐらいの子ども2人が迎え入れてくれた。
はじめて食べる日本食、はじめて入る湯船。はじめて見るおもちゃやゲーム機。同い年のその子どもたちは僕にないものを全て与えられていた。僕の目に映るその奥には嫉妬心しかなかった。優しい両親、綺麗な家、不自由しない食事、おもちゃ、漫画、ゲーム。はじめて日本人の家庭で過ごす初日はとても居心地悪かった。
ホームステイ2日目。朝早くからご主人が運転する車で向かった先は千葉県にある有名なテーマパークだった。普通の小学生中学年くらいの子どもなら大喜びだろうね。けど僕は心から喜ぶことができなかった。喜ぶフリして、心の中では本当の家族と来てみたかった。この景色を一緒に見たかった。そのことを思うと素直に楽しむことはできないよ。テーマパークを出る前にお土産としてドナルドのキーホルダーを買ってくれてありがとう。すぐ捨てました。貴重な体験だったけど、惨めな気持ちのほうが大きかったです。
ホームステイ先の人たちは善人だと思う。見ず知らずの子どもを温かく迎え入れてくれて、優しくしてくれた。家族の温かさを教えてくれた。優しさの反対は残酷なんだよ。善意でしてくれたことが悪意に受け止められてしまう場合がある。嫉妬、敗北感、憎悪。単に人の家庭の幸せを見せつけられただけ。そう感じた。
交流を目的としたホームステイなら、同じ境遇の家庭環境のほうが学ぶことがあるだろう。
ホームステイ3日目。センターの職員が迎えに来る。僕は泣いていた。もっと一緒にいたかった。もっと経験したかった。もっと感謝を伝えたかった。けど当時の僕は自分の気持ちを伝える方法など知らず、ありがとうの言葉しか伝えられなかったんだ。
あのときホームステイさせてくれた家族へ。親切にしてくれてありがとうございます。あの頃は日本語を話すことも聞き取ることもできず、無愛想な子どもの印象を与えてしまったのではないかとずっと気にしてました。親切にしていただいたことは30何年後も覚えてます。