今まで踏み込んだことのない分野の本を読んでいます。

安楽死というものにずっと興味がありました。



不治の病で耐え難い痛みに侵されている人を
なぜ死なせてあげられないのか


自分の力では生きていけない状態で苦しんでいる人をなぜ死なせてあげられないのかと


ずっと疑問に思っていました。



だって、

その人が死にたいと
もし心から思っていたとして

それでもすぐには死ねなくて
でもいずれは死んでしまうのに

なぜ莫大な医療費や年金を費やしてまで
生かすのかな。




私は普通の人とちょっと考え方が異なるとは自覚していて、

例えば、
結婚式やお葬式などの儀式の類いのものに莫大なお金と時間とエネルギーを費やすことなど

形式的に行われるものの価値が心から理解できないので、そんな感覚と同じなのかな。


命を無駄に伸ばすことや

死ねる技術はあるのに
それを選ぶ権利を与えられない理由が

わからない…ショボーン


アスペルガーは人の心がわからないから
こんなふうに思っちゃうのかな。



通勤時間にこの本を読んでいるのですが

なんの本を読んでいるのかなと
私の前に座って覗き込んだ人に

まじまじと見られてしまった…


図書館の本だからカバーをかけていなくて📖


そうだよね
真面目に真剣に安楽死について
若くして考えている人は
多分日本で1%に満たないだろうと思います。




インターネットで安楽死について
数年にわたりちょこちょこ調べてきましたが

ほとんど情報が得られなくて

ついに私はスイスにメールを送ろうかなと思ったくらいだったのですが



この本を読んで安楽死の実態が
つぶさにわかって
本当に読んで良かったです。

宮下洋一さんに感謝。



この本を読んでわかったことは

まずまだまだどこの国でも
安楽死は肯定的に受け入れられてはおらず

安楽死を助ける医師たちは
冷たい目で見られることもあるそう。

その人の診察室からは頻繁に死体が出入りするわけであって、

近所の人からは嫌がられているらしい。




また、かかりつけ医の存在が根付いている国では、普通の町医者が安楽死の幇助を行うこともあるらしくて

初めてそれを行う医師は
やはり精神的に重たいものを感じるようで
手が震えたりするらしい。



つまり
死にたい人は、死ねてよいけれども
家族以外の人にも多少の影響を与えてしまう行為だということがよく理解できた。



興味深かったのは

外国からスイスに安楽死を求めてやってくる人の中には

スイスにたどり着けずに亡くなってしまう人も多いそうだ。

つまり、不治の病になってまもなくほっておいても死ぬのに、

最後の死ぬ時は自分で選択したいという気持ちを人間が持つのだということは、興味深い事実だと思った。





精神疾患のための安楽死が認められているベルギーの取材の部分が、やはり一番心に残ってしまった。


本に登場する2人は
ひどい自殺未遂を何回も繰り返している。

世間的には鬱病は
改善の余地があるものとされているけれど

この本に出てくる人を見ると

そして私自身の経験から言っても

精神疾患というのは心ではなくて体の臓器の故障によるものであって

今の医学では改善の余地がないこともある
ということは疑いようもない。




どう考えても
感情というのは

私の選択ではなくて

体が勝手にそうなっていると

感じています。



誰かの影響やサポートをうけても
それはほとんど変えることができず


それを抱える人の心は

24時間365日×うん10年間もの間
割れるような頭痛を感じ続けているのに等しいと思う。

人によっては末期癌の痛みがずっと続いているのと同じくらいの苦しみなのに

目では見えないという理由だけのために
安楽死さえ認められない。



なったことのない人には
きっとこの気持ちが理解できない。

だからほとんどの国で精神疾患が安楽死の理由として認められないのだと思う。





24時間何年もこの痛みに耐え続けてきた自分は、なんて強い人間なんだ!

と自分を褒めたくなることがあるニコニコ



えらい、私
すごい、私





安楽死の存在は
自殺の抑止力となるらしい。

私は練炭が手元にあることで
かなり救われていると感じているから
それは納得。



もし今日本で安楽死が認められていたら

今は私は安楽死を選ばずに
普通に毎日を送ることを選ぶと思う。

そして

安楽死すればいいんだから
なんとかなる、

と思えることで
毎日を今より少し明るい気持ちで生きられるような気がする。


将来に不安を抱いてお金を溜め込む人が
経済活動に参加するようになって
きっと景気も良くなると思う。



自分で選んで生まれたわけじゃないのに

生まれてきたらなんでも自分の責任で
行動しなくてはならないなら

死を選ぶ権利だって
もらえてもいいと思いませんか?