今日は以前派遣で少しだけ働いていた会社の方とランチをしてきました。



また会いましょう。
またお茶しましょう。
今度ご飯でも。



そういう口約束が嫌いです。
だから実現させるようにしています。

また会いに行きますねと言って別れたからには
会いに行きます^^


でもね、
元同僚たち、
疲れた顔していました。

楽しい話は
ありませんでした。


愚痴が溢れて止まらない…
そういう話を聞きに来たわけじゃなかったんだけどなぁ。
働くっていうのはこういうことなんだなと思いましたよ滝汗





そのついでに
せっかくはるばる東京へ行ったので
以前お世話になったことのある
転職エージェントにご挨拶に行ってきました。


偶然にもタイミングよくお仕事を紹介してくださったのです。ラッキー。




エージェント会社とは
一度お会いするとその後は主にメールと電話でのやり取りになるものですが


担当してくださるコーディネーターさんは
その都度異なり、お顔がわからないので
それもなんだかなぁとふと思いついて
足を伸ばしてきました。





面接に進めるかどうかは
橋渡しをしてくれる方が私に対して持つ印象も左右するのかもと、思ったわけです。




電話やメールではできないお話も
なぜか顔が見えるとできますね。

電話だと10分で終わってしまうお話も
お会いすると1時間も
沢山のご相談もできました。


来てくれて良かったと
喜んでいただけたようです^^


貴重な時間を使ってくださって
有難いことだなと思いました。





エージェントさんと会ってわかったことは
私の経歴は業界や職種を変えない限り
まだギリギリ
戦えるということでした。


ギリギリ、です。


何がギリギリって
結婚を機にして退職した私の
ブランクの期間と年齢

ギリギリだそうです。



ブランクの期間は
一年半です。

私からみたらたったの一年半ですが
企業側から見るとブランクはかなり影響があるとのこと。


あと一年経つと状況はさらに厳しいと。
2-3年以上のブランクは厳しく追求されてしまうんだそうです。




社会は厳しいね。
一億総活躍社会、少子化対策
ふざけるな
と思いました。


子供を育てるお母さんたちは
帰りたい場所にはもう帰れないのか。

怪我や病気をして頑張って治しても
もう元いた場所には戻れないのか。


一度倒れてしまうと
社会復帰できても
お給料は半分になる。


途中で方向転換するには
大きな決断と勇気と犠牲が必要なのか。



社会は安倍さんが思っているより
厳しいです。

私たちを焦らせないで。

焦っても
仕事は無いよ。


なんとかお金を稼げたとしても
活躍はできないよ。

幸せじゃないよ。



言葉を操ってムードだけ作って
でも実態は…


すんなり内定が出るような仕事や条件を選べば
年収は半分になる。

必死に頑張れば元サヤに戻れる可能性はあるけど
その期限は2年まで。



レールから一度降りたらもうおしまい。
地味に歯を食いしばって
小さな幸せを探そう、なんて
自分を慰めるしかない
パッとしない人生。


多少の並み外れた努力をしない限り
若い頃はすんなりと乗れてしまったレールには
二度と戻れないんだと思いました。



やめやめ。
社会復帰なんてやめ。

能力を評価してもらえない
お給料しかもらえないなら

夫の扶養以上は働きたくないっていう
多くの人の気持ち、

なるほど。
こういうことね。



派遣会社が
「扶養内で働きたいという希望はありますか?」
と、いつも確認してくるのは

それ以上働くメリットがないと
思ってしまう人がとても多いからなんだろうな。





話は戻りまして、

エージェントさんは私の経歴について

ブランクの点はギリギリだけれども
心配することのない軸のある経歴だとおっしゃっていただけました。


私としては転職回数がかなり多いので
経歴はボロボロと思っていましたが
外資系なら問題ないとのこと。
日系だと厳しいであろうとのこと。


これまで勤めた会社が
一定の層に対するビジネスであるという点において一貫性があるので大丈夫だと言ってくれました。


業界も職種もバラバラだと
仕事探しは難しくなるとのことでした。





そして、今後の就職活動については

業界や職種を大きく変えると
就職活動は難航するでしょうと
言われました。


また、転職回数の多さから
日系企業も難しいでしょうとのこと。

でも、外資系なら全然いける、とのこと。





フルタイム正社員それなりの高給!

を目指しているわけではないですし
フルタイム勤務ができるかどうか
真剣に分析と判断をしていない段階なので


強いやる気を見せることは出来ませんでしたが

正直な言葉を伝えることで
もやもやとした妄想と
選択肢を潰してもらえて
勉強になりました。




それから今日、小さな就職活動をしてみて

悩むよりまず動いてみることが大切だなと感じました。


人に会うと気持ちも変わるものですね。


就職活動してみちゃう?
ちょっとやってみちゃう?

くらいの気持ちが

もうちょっと真剣にやってみようかな?
行けるところまではいってみようかな?

と、心を動かされる。

山を少し登ると
見えてくる景色も変わるものだなと思いました。


見えた景色は
相変わらず厳しいものですけどね。





私の悩んで落ち込んでいい時期は
終わったみたいです。


誰かに守られて助けられてそれで済む
時間は終わってしまった。



そろそろちゃんと歩き出してみて
いろんなものとぶつかりながら
進む時間が来ちゃったみたいです。




鬱と発達障害という傘に
いつまでも守られていてはいけないなと
思います。




鬱だから、精神障害者だからと
引きこもっていたら
可能性は日に日に小さくなっていきます。



もう迷っている時間はないんだってさ。
人生って厳しいね。



ステキな50代、
幸せそうな50代以上の人の姿を
目の当たりにする機会が多ければ

未来の明るさを信じて
心安らかに毎日を送れるのでしょうが


ごく限られた高い位置まで昇進できた人以外で
キラキラ幸せそうな50代以上の方を
私は全然知りません。



50代を超えた人たちは
どこにいるの?

満員電車に押し込まれた人の中には
50代以上の働く方の姿はよく見るけれど

電車を降りて
普通に生活していると
30代以下の人がやっぱり目につく。


歳をとると
人はどこにいってしまうんだろう。

一定の地位を築いて
一休みできるから
ギラギラする必要がないのか

おだやかな心になって最前線に立ちたいという
気持ちがなくなるから
姿を現さなくなるのか…


年齢を重ねるほど
素敵になれるとしたら
どんなに前向きに今を生きれるだろう。


お手本になる人たちが
社会に沢山いてくれたら良かったのに。


不安な気持ちこそが
自分を突き動かすのだと思うので
毎日毎日一歩だけでも進んでいこうと思います。




就職に関して私がここに書いたことは
世の中の全てではありません。


条件さえ選ばなければ
現在30-40代は人手不足だそう。


外資系から日系に移行する難しさと
元の鞘に戻る難しさについての情報として
お読みくださいませ。