今思えば小さい時から
やってしまった瞬間に
後悔したことが幾度となくありました。



子供の時
念じれば過去に戻ってやり直せるかもしれないと、真剣に念じたことがありました。



幾度となく
衝動的な決断や
暴力や
破壊行為や
自傷行為を
繰り返し

人間関係や
相手の心や
お金では買えないものを

たくさん壊してきました。



自分が
発達障害であると知り
発達障害として生きることを受け入れて


橋を叩き割る
衝動性の強さを
自覚してからは

だいぶ考えてから
行動できるようになりました。




それでも私はまた
橋を叩き割ってしまいました。



叩き割るべきかどうか
考えたつもりだったけれど


普通の人はもっと時間をかけて考えてから
叩き割るのでしょうね。


私は一週間苦しんで悩んで考えて
正しい答えだと信じて

仕事を辞めることを申し出ましたが

その判断は謝っていました。





自分で挨拶しないのはあまりに無礼だから
ちゃんと言いたいのだと
仕事を辞めることを同僚に伝えた時


同僚はとっても悲しそうな泣きそうな顔をして
固まってしまいました。




上司も私のことなどどうでも良いのだろうと
あっさりとした反応を想像していましたが
大変驚いたと言われました。




私は自分の仕事は1人で
責任を持って行う
外資系企業でばかり働いてきました。

誰も助けてくれない代わりに
仕事さえやれば後腐れはない。



だから

上司からの指示が全くなく
自分の仕事がなんなのかよくわからない
今の派遣先の仕事のやり方に

このチームには
問題があると強く感じていました。




でも、退職が決まって



同僚の方の顔を見て



辞めなくても良かったのかもしれない

私はここで必要とされていたのかもしれないと



ずっと考え直して

やっと自分が
外資系特有の働き方しか知らなかったから
柔らかく対応ができなかったのだと
初めて気がつきました。


気がついた時には時は遅く、
すでに辞めることは決定していました。



あと1日早く
同僚に全てを話して
彼女の反応を見ていたら

このことに気がついて
今後も楽しく働けていたかもしれません。





外資系企業は厳しいんだなと思いました。

自分を守るために
弱みを周りに見せることが出来ない。


弱みを見せたら
仕事ができないやつだと思われて
不利な立場になり
挽回が難しいだけでなく
立場がなくなることもあります。



そのくせがついていたのか
社内の誰かに相談することなんて
考えもつきませんでした。





外資で働いていた時

次に転職する時は
日系企業にする!

と思っていました。


上司からの助言やチームのサポートが多いことを日系で働く夫を見て感じて、羨ましく思っていたんです。



でも、実際ぽいっとそこに投げ込まれたら
私には違和感でしかなかった…



その代わりに自分でも驚くほど
力はついていたようで

仕事のできる人として評価をされた…




もしもあの時
もしもっと早く


もしも、が現実にはならないとわかっていても
後悔ばかりです。



環境適応能力が低い自分。
我慢の効かない自分。


自分はこうだから、と諦めないで
この経験をバネに柔らかい自分に成長していきたいです。