今日、友達と2人で食事をしました。


友達に最近は元気かと聞かれたので、

元気がないことがあると答えました。



その理由としては、




日が暮れるのが早くて1日が早く終わってしまう気がしていること


毎日やり残したことがあるように感じてしまうこと


それから

来月Toeicが終わって、その後何をしたらいいのかわからなくて不安なのかもしれないと答えました。



そして、その友達に初めて
自分が発達障害であることを話しました。



今年発達障害傾向があることがわかったので
社会に出て人と関わることが怖くなってしまった

だから何をしたらいいのかわからなくて
考えが頭の中で巡るだけで答えが出ない




友達はほんの少しだけショックを受けた様子でした。



そして、

「変わった人だと思っていた」

といいました。




私は変わった人だと言われることが大嫌いです。



自分の何かが人とは違うことは
社会に出てからなんとなく気がつき始めました。

天然

だと散々言われて、
悪意がない言葉であっても

天然ってなに?
私は何が違うの?


ずっと笑いながら悩んでいました。





天然


個性的


変わっている




そんな言葉をかけられるたびに
それが悪意のない言葉だとわかっていたから


「それを言われるのがとても辛い。」
「そんな風に言わないでほしい。」


とは言えずに、

そうかなぁ?
自分ではわからないんだ~

とニコニコ返しています。




どんな言葉でなじられるよりも
傷つく言葉なのに。




今日その友人は

個性がなく流されていくような人が自分は嫌いで、だから私のことがとても好きなんだと言ってくれました。


私のことを受け止めて大切に思ってくれることはよくわかりました。



でも、やっぱり

私はまだ自分の個性とやらを
全く好きにはなれません。



個性がなかったら

人と同じ雰囲気を持っていたら


どんなに楽に
悩むことなく生きられたことか。


自分を否定し、自信を持てず、
年齢を重ねるにつれて
人と話すことを怖がるようになってしまった。




私の知性を遺憾なく発揮して
社会で活躍できただろうに…
しごとをやめることなく
熱心にやれただろうに…



でも、
発達障害がなかったら
得られなかったこともきっとあるはず。

強みを武器に生きられるように

自分の個性を

人と違う部分を

もっと理解したいと思いました。





人がみななぜ

私のことを

「変わっている」

というのか、



分かっていないのは
多分私だけです。


私には私自身が見えません。






発達障害であることを

みんなに話せたらいいのに。


誤解されていることが解消して、
苦手なことを許してもらえたらいいな。



ごく一部の人たちだとは思うけれど、

性同一障害の人のように堂々と
自分を認めて
みんなに話せたら

世界はどんな風に変わるんだろう。