評価があると、安心する。
それは欲張りな感情というより、
生活の中で身についた感覚に近い。
褒められる。
認められる。
数字が出る。
そういう反応がある間、
人は迷わずに動ける。
「これでいいんだ」と思えるから。
評価は、
自分の代わりに判断してくれる。
正しいかどうか。
続けていいかどうか。
立ち止まらなくていい理由を、
外から与えてくれる。
実際、それはとても助かる。
忙しいとき。
余裕がないとき。
考える力を残しておきたいとき。
だから評価に頼ること自体は、
おかしなことじゃない。
ただ、評価が長く続くと、
少しずつ変化が起きる。
評価があるかどうかで、
動けるかどうかが決まるようになる。
反応が薄い日。
数字が出ない時期。
何も言われない時間。
そういうとき、
急に足が止まる。
自分が何をしたいのか、
どこに向かっていたのか、
よく分からなくなる。
能力が落ちたわけでも、
意志が弱くなったわけでもない。
ただ、
「自分で決める感覚」を
使う機会が減っていただけ。
評価があると、
自分の感覚を確かめなくて済む。
好きかどうか。
納得しているか。
無理をしていないか。
そういう問いを、
後回しにできる。
後回しが続くと、
問いの立て方自体を忘れる。
評価がなくなると不安になるのは、
自分の価値がないからじゃない。
自分で判断する準備を、
する必要が出てきただけ。
評価に寄りかかる動きは、
この社会ではかなり自然に生まれる。
評価される人ほど安全で、
評価されない人ほど不利になる場面が、
あちこちにあるから。
だからこれは、
個人の性格の問題じゃない。
環境の中で、
そう動いた方が楽だった、
というだけの話。
このことに気づくと、
評価をやめる必要はなくなる。
ただ、
評価がない時間を
少しずつ取り戻せばいい。
判断を、
外に預けっぱなしにしない。
それだけで、
選び直せる場面は増えていく。
この記録は、ここで区切る。
先は、それぞれの場所で。
