社会適応行動について
Instagramに置いた記録は、
社会の中でよく見られる行動を、
そのまま切り取ったもの。
「従順であることが安全」
それは、個人の弱さではなく、
長い時間をかけて共有されてきた
“合理的な選択”だった。
空気を読む。
波風を立てない。
指示に従う。
こうした行動は、
評価を下げないための方法であり、
居場所を失わないための手段でもあった。
問題は、
それが一時的な戦略ではなく、
恒常的な生き方になったこと。
従順であるほど摩擦は減る。
摩擦が減るほど、判断は外に委ねられる。
やがて、自分で選んでいる感覚が薄れていく。
意思が弱くなったわけではない。
考える力を失ったわけでもない。
ただ、
「自分で決めなくても回る環境」に
長く身を置きすぎただけ。
この構造の中では、
違和感を持つこと自体が
リスクのように扱われる。
だから多くの人は、
不調や迷いを
「自分の問題」として処理しようとする。
けれど、観測を続けると分かる。
個人の内側よりも先に、
環境の設計が意思の輪郭を曖昧にしている。
この記録は、
何かを正そうとするものではない。
ただ、「何が起きていたのか」を
そのまま残している。
そこから先、
どこまで適応し、
どこで距離を取るかは、
それぞれの判断になる。
この記録は、ここで区切る。
先は、それぞれの場所で。
