「優しい人になりたい」


そう願っていた頃の私は、

“優しいと思われたい人”でもあった。

 

無理せず優しい私。
自然体が優しい私。
 

そんな自分になりたかったけれど、
叶わぬ夢を見ていたのかもしれない。

 


 

人に「優しい」と思われるのは、

意外と簡単。
 

自分が少し無理をすればいい。


そのたびに、

「ありがとう」「助かったよ」と言われる。
 

その言葉がうれしくて、

やめられなくなる。

 

もっと優しくしよう。
もっと頼られよう。
 

そうやって自分をすり減らしていった。

 

やがて残ったのは、
“優しい自分”のはずなのに消えない疲れと、
「本当は私は優しくないのかも」という疑心。

 

私は“優しいふり”をしていたのかもしれない。
 

誰かを助けたつもりで、
本当は「ありがとう」が欲しかっただけ

なのかもしれない。

 


 

少しずつ気づいたことがある。
 

それは、“やりすぎないこと”の大切さ。

 

困っている人を助けたい気持ちは

今も変わらない。
 

でも今は、

自分の余裕と相談できるようになった。

 

少し無理してもいい。
 

そのときはちゃんと

「よく頑張ったね」と自分を労わる。
それで十分。

 

昔は「自己犠牲のお返し」を求めていた。


「私はこれだけ我慢したんだから、

 あなたも返して」と。
 

でもそれは、

優しさじゃなくて、

寂しさだった。

 


 

本当の優しさは、
特別なものじゃない。

 

働くこと。
掃除をすること。
ご飯をつくること。
 

日々の小さな行動の中に、
本物のやさしさは息づいている。

 

だから、「本当」とか「偽り」とか、
比べる必要はない。
 

欲しいやさしさの形も、

与えたい形も、
人それぞれ違うから。

 


 

それでも一つだけ変わらない優しさがある。
 

それは、自分自身へのやさしさ。

 

これだけは、誰にも奪われない。
 

いつも一緒にいる“自分”には、
どうか優しくしてあげてほしい。

 

甘えじゃなくて、やさしさとして。

 



あなたは、自分自身にどんな優しさを与え、
どんな優しさを受け取りたいですか?

 

 

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