「今の私」は、

「強い私」を演じきったあとの私。


あの頃は、まるで

舞台の上の演者のように生きていた。

 

「失敗」「恥」と結びつけて覚えたのは、

たぶん幼い頃。
 

親や友人、先生、そんな身近な人たちの目が

すべての世界だった時代。
 

小さな失敗も、

大きな失敗も、

「1つの恥」として数えられるように感じていた。
 

だから、どんな転び方も同じ“1カウント”


それなら転ばないほうがいい、

そう思っていた。

 

そうして私は、

“完璧な子”でいるために息を詰めた。
 

「強い私」という役をつくって、

笑顔の裏に弱さを隠した。
 

けれど、

 

我慢の副作用は静かに身体に現れていた。
 

発熱、腹痛、息苦しさ。
すべては、

自分を守るためのサインだったのかもしれない。

 

私はただ、「嫌われたくない」だけだった。


「好かれるのも怖い」

「変に思われたくない」

「怒られたくない」
 

だから私は「失敗しない私」を演じ続けた。

けれど、その代償は大きかった。


「強い人」

「一人でも大丈夫な人」と言われるほどに、
本当の私はどんどん遠のいていった


挑戦しないことで、

自分を守ったつもりでいたけれど、それは

“生きる痛み”を先送りしていただけだった。

 


 

この世界は、思ったよりも単純だ。
人も同じ。
だけど、その単純さを生き抜くのは難しい

 

「うまくやろう」とするほど、

心が絡まっていく。
 

でも本当は、もう少し不器用でいい。
もう少し弱くていい。

誰かを頼ってもいいし、泣いてもいい。
 

一人で立ち続けることが“強さ”じゃない。
 

誰かと支え合えることこそ、

人としての強さだと思う。

 

もし今、私と同じように

“強い私”を演じているなら、
その仮面を少しだけ外してみてほしい。

 

きっとその先には、
「自分を取り戻す光」

ちゃんと待っているから。

 



強さは、守ることじゃなく、

心を開くことから生まれる。
 

少しずつ、

ほんの少しずつでいい。


あなたの本当の声が、

また響き始める日まで。

 

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