禅語に「悟れば好悪なし」と言う言葉があります。


「悟った人間には、好き嫌いという感情などない」という意味です。


人は誰しも、好きな人、嫌いな人の
区別を持っているものです。


性格が合わない人、
考えが違う人も多いでしょう。


しかし、学びを深めていくと、
あの人は嫌いだと言う感情は薄れていきます。


むしろ、性格が合わない人、
考えが違う人の事も
尊重できるようになってくるようです。


あの人は、私とは違う考えを持っている。
でも、よく話を聞いてみると、
自分自身のためになることも多いな。
と言うように考えるのです。


悟りを開いた仏陀は、
悟った人と、そうでない人との違いを
第一の矢と第二の矢の話で説明しています。


第一の矢とは、外から飛んで来る矢
第二の矢とは、内から飛んで来る矢


例えば、
道端に綺麗な花が咲いている時、
綺麗な花が咲いているなと思うのが、
第一の矢。


この花を摘んで行って、家に飾ろう
と思うのが第二の矢。


車を運転中に突然割り込まれた時、
危ないな!と思うのが第一の矢


文句の一つでも言ってやろうと思うのが
第二の矢。


第一の矢は悟った人も、
そうでない人も受けます。


でも、悟った人は第二の矢を受けない。


第二の矢は、
あくまでも自分本位の執着により、
内面から放たれる矢です。


好きか嫌いか、良いか悪いか。


そうした思いを生じさせる元になる執着心。


執着心は「我」から生じるものです。


つまり「我」を忘れ去った状態が、
悟りなのかも知れないですね。

 

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