●娘、愛の生い立ち


んにちは。伊勢崎のママセラピストの瀬戸です。


今日は、愛娘の愛ちゃんの生い立ちを綴ってみたいと思います。


今から、19年前、当時、母親の私は保育士として働いていました。


なかなか子宝に恵まれずに・・


やっと授かった、二人の命。

一気に二人と、天にも昇る気持ちであったことを思い出します。


双子ということで、色々なリスクに対し、慎重に、大切に大切に育てました。



愛ちゃんは、・・在胎29週と4日。お腹の中で、感染症にかかってしまいました。


まだ、臓器も未熟な状態で、この世に産まれて来ました。


愛ちゃんは出生時仮死。


(双子の息子は小さいながらも無事に出産)


幸い、県立小児医療センターのNICUの先生が立ち会ってくださったので、


命はなんとか取り留めました。


出生時、愛ちゃんは1054g、息子は1184gと極低出生体重児でした。


そこからが、いろいろなことが起こりました。


今日が山です・・と。


何回乗り越えたことでしょうか・・


でも、仮死の状態があったので


寝たきりになってしまうかも・・


との先生の言葉。


それを、受け入れるのにはたくさんの時間がかかりました。


奇跡、奇跡の連続で、4ヶ月後退院できました。


そして同時に、リハビリに通いました。


障害児の母になるなんて思いたくもなかった。


というのが、本音でした。


だから、毎日必死にリハビリをしました。


カラダのリハビリと、目のリハビリと・・やることいっぱい。

気持ちもいっぱいいっぱい。


でも、


(きっと傍から見たら私、鬼ママだったろう・・)


それしか頭になくて。



育児を楽しむ余裕などなくて・・


一緒にいた双子の息子には、ホントかわいそうなことをしてしまいました。



でも、息子がいてくれたおかげで、私は救われたんです。


思いつめてしまった時、無邪気に微笑む息子がいつも一緒にいてくれて。


この子のためにも生きなくちゃって。



愛ちゃんも、息子がいてくれたから、


兄ちゃん手本に、負けじと、いろいろなことができるようになったんだと思います。


嘘みたいに。奇跡的に。発達しました。


兄ちゃんと一緒に、いっぱいハイハイして、歩いて、走って・・


わずか、右足首に軽い麻痺が残っただけで・・


一時的に、右足に短下肢装具をつけただけで生活は不自由なく。


メガネで矯正したら、目もよく見えて。


やんちゃで、負けず嫌いの

私のコピーそのもの...


愛ちゃんは、ホント強靭なパワーの持ち主。


鬼ママにも負けず、頑張って、頑張って・・



ふつうの生活を手に入れました。



私は、鬼ママでも、ま、いいか!


って・・そう思いました。



でも、それだけでは終わりませんでした。



リハビリも卒業でき、こんなにも頑張った愛ちゃんが、


地域の幼稚園に入園してまもなくの5歳と4ヶ月。



インフルエンザ脳症を発症してしまいました。



意識が戻らないまま、2ヶ月半が経ち・・



でも、

私たちの元に帰ってきてくれたんです。



全ての機能を失って、

頑張って得たものを、全てリセットされてしまいましたが・・


生きていてくれてありがとう!!


そんな気持ちでいっぱいです・・


今は、首もすわらない、重度の障害児

でも、愛ちゃんを誇りに思います!!


今思うことは、


愛ちゃんが、今日!今!を楽しく過ごせるように・・


ママは気持ち改め、

愛ちゃんから学んだことを自分のパワーに変えて・・


頑張って行こう!と思わせてくれました。


今があるのは、手を差し伸べてくれたたくさんの方々のおかげでもあります。


少しずつ、恩返しできたら・・と思っています。


子育てって、親も育つ・・ですね。


愛ちゃん、兄弟くんたちに、感謝の気持ちでいっぱい。ありがとう!


愛ちゃんは、今、デイサービスに毎日楽しみに通っています。


まだ、まだ、愛ちゃんの頑張りは続きます・・


最後までお読みいただきましてありがとうございました。