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彼女、立花弥生は半袖のブラウスから伸びる細い腕をしならせて窓辺に立てたイーゼルに載っているカンバスに向かって色を重ねていた。僕は素人だからよくわからないが、彼女はエプロンなど一切していないのでやはり女学生に見える。窓から入る揺れる光が彼女に陰影を作り出していた。
薄い茶髪が窓から入る風に揺れ、カルトンの上に筆を滑らせるそれも揺れる。
少し言葉を交わしただけで立花さん―上司と聞いて呼び捨ては出来ない性格なので―は黙って絵を描いているだけだった。もちろん初めは僕から質問はするつもりだったけれど。
「あの、あなたは誰なんですか?」
そう言うと彼女は薄っすら笑んだ。
「可笑しな事を聞くな。さっき言ったじゃないか。私は、」
「そうじゃなくて。あなたの素性です。あと、その……『これは』あなたの仕業なんでしょう?」
この草原。そこに立つ絵を描くための小屋。異次元のようだ。
「短気だな。いや、疲れているのか。少し落ち着け。元々君がここに来て私と話すこと自体、私が望んでいたことではないんだから。だからまぁ私としては適当に話して君にはさっさと退場して頂きたい」
そう穏やかに言うと、一度、僕をその薄い色素の目を僕に向ける。
「私は、この法化制圧部第五区の客員顧問だ。そしてここは『私が作った世界』だよ。もっと言うと彼らと限りなく同化し、それに成功したものだけが出来る世界。そこに君がインターフィア(干渉)してきた、というわけだ。言ってみれば、まぁ、人の家にまさに、土足で上がられたようなものだ」
そして自分の言った冗談が面白かったのか少し含み笑いをする。
なんなんだこの人。ていうかインターフィア?
「インターって、干渉のことですか? 干渉って……。俺はまだそんな武力を扱うことは出来ませんよ」
「君……可笑しなこと言うな。干渉は彼らとわかりあうために意識を繋ぐ現象であって決して武力ではないぞ」
僕は嘆息して頭を振る。言っていることが理解できない。かみ合っていないわけじゃない。僕の理解が追いついていないだけだ。
「えっと……、その『彼ら』って誰ですか?」
彩夏が教えてくれなかったことを僕はもう一度聞いた。返答してくれるかどうかを除いて。
一瞬、立花さんは人形のような無表情で沈黙してしまった。
立花さんは筆をとめ、僕を何も言わず見つめてきた。そこにはなんの感情も浮かんでいない。
すると美麗な顔を皮肉を言うように歪め、
「彩夏には教えて貰っていないのか?」
僕は少し返答に躊躇したが思ったことをそのままに言う。
「教えて貰ってないですよ。だから聞いているんです。まだ早いとか、俺が優しいから現状分かった上で使ってほしいだの言われて」
「ふーん…………」
なにがふーん、なのか、立花は筆を一旦止め、少し思案するような様子をみせた。
「とすると。なるほどなるほど。そういうことか。この干渉は彩夏の仕業か。武力云々もそういう『勘違い』か。そうか。じゃあ、私は私の役割をしなければな。でも肝心の本人がいないな……。なんだ時津彫、彩夏と痴話喧嘩でもしたか?」
「してませんよ!」
少し当たってるような気もするけど。ここの人って誰でもこうなのか? 説明もなにもしないで勝手に納得して、どんどん先に話を進めていく。僕はいつも置いてきっぱなしだ。
「じゃあ」
そう言って僕に筆を突き刺すように向けた。
「君に、少し話しと、頼みをしよう」
僕は眉を顰め、思わずすぐにでも飛び出せるように両足に力を溜めた。彼女のその仕草だけでかなりの威圧感を感じたからだ。殺意でも敵意でもない。ただの――威嚇。
「そう構えるなよ。私は何もしないし、何も聞かない。さっきも言ったようにさっさと話を終わらせたい」
そう言って立花さんは身体の向きを変え、ずっと加えている箸のような極細の筆をカルトンにかけた紙に滑らせる。青い色がそこに現れ、そしてまた別の色と混ざり合い消えていく。彼女はなにかガラスの細工でも扱うかのような手で真剣に筆を滑らし続ける。
「クリスや蓮杖、そして特に彩夏になにを聞かれたかわからないが、あいつらのいっていることは気にすることでもないさ。人にはそれぞれの個性があるっていうが、それは個性を本人が自覚しているかしていないかで決まる。あいつらはそれを自覚している」
立花さんが首を動かすと、茶髪の長髪に彩光から飛び降りて来た焼けるような夏の日差しが映えた。
「何の話ですか」
「自分が自分を信じられるかってこと、さ」
彼女は最後の一筆だったらしく、僕に顔を向けたままその筆を引いて横にあるパレットに放るように置いてしまった。
「もっとざっくり言って自分のやりたいことしっかり持ってる奴ってことかな。特に時津彫はそのへんが欠落しているっていうか、まぁそんな感じがしたんだよ。欠落しているからこそ、損得考えずに何かに打ち込める姿勢があるのだろう」
僕は嘆息をして塗りこめられた陽光から影の位置へと移動した。それは言ってみれば自己犠牲だ。彩夏とまったく。そう。
「なんだか言ってることが彩夏たちと同じような感じなんですが……」
それを聞くと彼女はようやく胸に畳んでいた細い右足を伸ばすと立ち上がり、どこが可笑しかったのか含み笑いをしながら伸びをする。ブラウスにフリルのスカートを着た彼女は、長身ということもありその容姿よりも数段若く見える。
そして。薄墨の瞳を僕に向けて言う。
「彼女達と私は違うだろう。彩夏達は曲がりなりにも科学者だ。それが科学者じゃなくても超能力者でもいいだろ。一般人と専門家。言うことは違うに決まってるじゃないか。それが普通だ」
さも当然のことのように言う。
本当に超然とそんなことを言われるとそうなのかもしれないという気がしてくるが、あんな何もないところから物が出たり火が出たり、そんなものを目の当たりにさせられたらこのトーラスという巨大なコミュニティのどこに普通なんていう言葉があるのだろうかと疑問を持たざるをえない。
でも。理論とその個人が持つ意見が違うのは当然じゃないのか。立花さんはまるで彩夏達が別の何かのように言っているような気がした。
「大体、立花さんは指揮官と聞きましたが、」
「客員、顧問、だよ。この第五地区のね」
律儀に訂正してくるのは狙っているのか。彼女は腰に手を当てたりしながらなぜかストレッチをし始める。か細い腕が首に回った。
「肩書きとか階級なんてどうでもいいです。彩夏が言うには本当にないらしいですし、それで立花さんは何が聞きたいんですが」
なにって、と彼女はアキレス腱を伸ばし始める。
「正確にはそうさせられている、だがな。――君がここで暮らすに当たって他の仲間と早く打ち解けれるように大よそ把握しておきたくてね。あ、いや、確認、かな」
そこでなんとなく彼女の意図に気づいた。この部屋に立ち込める絵の具や油、乾いた木の匂いがいきなり現実味を帯びて嗅覚を支配する。
なんとなく気づいてのは彼女の黒い瞳が肉食獣のようなざりざりとした雰囲気を持ったからだ。
「時津彫は、ここに来た理由は、『誰かを殺しに来た』そうだろう?」
僕は答えられない。足が自然、一歩下がる。
「もっと言うと、『その誰か殺すために探している』そうだろう?」
僕は循環していないこの部屋の空気に眩暈を覚えた気がした。積み上げられた画板に床に置きっぱなしのカルトン。
この人は――この人は彩夏が分かっていること以上に僕のことを知っている。
なぜ? なぜそんなに僕のことを知っている? それ以上に。なぜこんな質問をするんだ。
僕がそれをしようとしても、きっと失敗すると分かっていても、だろうか。でもそんなことだったら、彩夏達も、いや彩夏もわかっているんじゃないのか。
そんなことより、と、いつのまにか立花さんは腰に手を当てながら右手をイーゼルの端におき、悲しそうな、だが嬉しそうな顔を僕に向けていた。
「このトーラスというものは深い。中にあるものが光にしろ闇にしろ、約三百年という大戦後にできた巨大な闇は大きく、とても深い。むしろオセアニア大戦後に意図的に構築されたものだといってもいい。誰だって思う、なぜこうなったのか。どうしてこうなってしまったのか。そんなことばかり考えてだが、何もしない。だから、行動しようとしている君に一つ期待してるっていうのも、ある」
僕は乾いた喉を動かし、黒のペンキに群青をまぜたかのような彼女に言う。
「あなたは……どこまで知っているんですか」
彼女は答えなかった。今度は明らかに薄く笑い、両腕を胸の前で組んでいる。僕も元から答えなど期待していない。ただ聞かずに入られなかった。
「オセアニア連邦と日本国、いや、この世界のティーア系はいったいどんな戦争をしているんですか、人ではないものを使って。転写体、素体を『使用』して」
「連邦ねぇ…………」
立花さんは長身を折り曲げ、木の色が映えるような影の中に立っている椅子に座り陽光を浴びる。
そう言えば、というかそれならばこれは彩夏の仕業なのか? ということは彩夏は僕に立花さんを会わせたかった?
――時津彫さんが自ら火中の栗を拾うというなら止めませんし――余計なお節介を――
そう、言っていた。成実は。あの時の成実は、『僕と立花さんが会わないように妨害しようとしていた』? 彩夏は成実を立ち去るように仕向けてまで僕を彼女に会わせたかった。
なぜ彩夏は僕と立花さんを会わせようとした? それに成実はなぜそれを妨害しようとした?
わからない。推測と思考が泥のように僕の胸で渦巻く。
そんな様子を凪いだ表情で立花さんは静かに見ていた。
「それは聞かなかったことにしよう。あとここで口外するのもだめだ。あと色々思考しているようだが今は考えるな。そんなことよりも私はもっと期待していることがあるんだ。彩夏のことを頼みたい。あの子はああみて元気一杯だけど、無理をするところがある。それに君と彩夏は無関係ではないしね」
僕の質問を断ち切って話題転換をする彼女の意図を測りかねて僕は眉を顰める。
「彩夏を? 無関係ではない、ってどういうことですか?」
「それはおいおいわかるよ。それよりも彼女は危うい」
立花さんは少し気取った仕草で考えるように茶髪を掻き揚げると、
「蓮桐彩夏は、そう、可愛いんだよ」
「…………」
僕が答えに詰まって一拍ほど間が空いてしまった。だけど彼女はそれが嘘ではなく本当にそう思っているからでた言葉らしく誇らしげに僕を見上げてくる。
「可愛い……、というかそれは容姿が、じゃないですよね? その中身がですか」
「ま、外もかなり可愛いのは認めるけど」
なんだか僕が彩夏を可愛いと思っているようにされてしまった。
「中身が可愛い。そう脆いんだよ。強がってるとか、頑張ってるとか、そういうレヴェルじゃない、そこはもう超えて、あと一歩で崩れるのに一つの信念で踏みとどまっているその可愛さ。可愛いということは弱いということでもあるんだよ。そこが君と彩夏が似ている」
きっと……立花さんはなぜ僕がここにきてなぜ僕がこんなことをしているのか全てわかっているのだろう。だからこんな回りくどいことをしているのだろうと思った。僕を「仲間」に入れるために。目的は違うが彩夏とは違う方法で。だが――そんなことしなくとも初めからそのつもりだった。そのつもりに彩夏にさせられた。
「今は兵法を言った孫子の時代から続いている物量と火力による戦争なんか行われない。一騎当千、まさにそれ。まだ実戦をみてないからわからないだろうが、それが実際に起こっている。その『戦争』というお祭りに集まったのが――ここの連中ってわけ。君も、そうだろう?」
僕は肩を竦めるだけで蛍のように宙を舞うほこりに目を逸らす。集まったかどうかは僕にもわからなかった。
「彩夏は弱い。だが強い。自己臨界性にしてもどこまでもつかどうか。とにかく時津彫、彩夏のこと頼んだよ」
「あの、あなたは」
僕は息を呑んで言う。何を言うか少し迷って。
「可愛いとか脆いとか強いとかそういうんじゃなくて――彩夏は優しすぎる、それに苦しんでいる。そう思わないのですか?」
僕の問いに少し、立花さんは呆れたような表情をしてやはり口角を上げて苦笑しただけだった。
「そうかもしれないな。でも、それは本人に聞くべきことだ。そして、」
そう言うと立花さんの姿の輪郭がぼんやりと発光したように思えた。薄く、青く。
どこから出したのかタバコを一本、容姿に似合わないそれを口に銜えると、発光した手を僕のほうに示す。
「もうさようならの時間だ、時津彫。これ以上自分の家に他人を上がらせておくのは――あまりいい気分じゃないのでね」
――そして、周囲が発光する。視界が遠のく。
僕だけが後ろに逆走しているかのように周囲の景色が立花さんを中心に圧縮し、薄くなり、様々なものが僕の周囲を駆け抜けて言ったような感覚に襲われた。
何かがはじけた気がした。誰かに呼ばれた気がした。ほんの一瞬。
そして徐々に晴れていく風景のそれは、ただの夜景だった。
現れたのは並び立つマンションに車や人々の喧騒が混じる街の中の風景だった。
*
「濃い一日だった……」
僕が宿舎に到着して言った一言目がそれだ。
もうそれ以外の言葉に集約出来るものがない。他に何言えってんだ。
この一日を思い返してみれば自分が洗脳されたのに気づかないような、思想をかき乱されて思わず改宗してしまうようなただの一日が十年に匹敵するような出来事のオンパレードだったとしかいいようがない。
無宗教だけど。
それだけのカタストロフィは受けたつもりだ。
僕が立花さんに強制的に追い出された(?)あとに立っていたのは外延部頂上の公園ではなくて、五区の住宅街にある宿舎前だった。しばらく呆然として、周りを確認して、自分を身を降ろして、さっきの夢だったんじゃないかと思ったが、僕は自分の掌についた空色の絵の具を見てすぐ盛大なため息と深呼吸をした。
もうこの街では常識と言うものは通用しないと考えたほうがいい。それが「普通」だろう。僕が普通だとおもっていたものよりはそれのほうが普通、なのだろう。彼女の言葉を借りるなら。
宿舎、とは言ってもそれの概要は高層のマンションで、それが住宅地区の一角を何十棟と占拠していた。区画整備されたこの街は住宅地区というぐらいだから住宅しかないのだろうと思っていたけれど、なんてことはない。ちゃんとコンビニはあるし普通の街の様相だった。ただもう向こうの青白い光を放つ中央区とは目と鼻の先なのでそこら中に警邏が見られるのが違和感だった。行きかう住民はそれが普通なのか全然気にしていないみたいだったけれど。
僕はPDAで自室を確認、そこの一つのマンションに入り、七階まで上がって簡単に間取りを確認して居間に入ってなぜかある皺一つないベッドにダイブして今に至る。
マンションの一室ともあって中はかなり広い。多分五LDKはあるんじゃないだろうか。贅沢な暮らししてるな、金とかどうなってんだろう、とか適当なことを考え、起き上がって首を回して部屋をでて洗面台で水を飲み、顔を洗って寝室を開ける。すでに到着していた荷物を適当に開けてうつ伏せにベッドに倒れこんだ。
考えること。やらなければならないこと。決断すること。全てが今日一日で膨大な量に膨れ上がった。僕が聞いた事。僕が聞けなかった事。また聞かなければならなかったことがあったようで胸になにかつっかかったようなこのいやな感覚。
頭が重いし、身体も重い。
寝狩りをうつと窓際からベランダが見え、その向こうに商業地区のビルの明かりが見えた。
「悩んでるのはお互いに同じ癖に……」
助けるべき彼女を考え、少しだけ強がりな彼女のことも考えて、薄っすら眠りに落ちた。
「――で、今から六年前、二十七年に加倉市にある時津彫邸で起きた襲撃事件が今で言う時津彫家襲撃事件だ。加倉市は第二新副都心とこのトーラスを結ぶ重要な大都市だが、それもあってこの襲撃事件については一般人に多く知られている。一般的にはな。外で素体が破壊活動をしたという事実が世間を賑わせた。襲撃したのは反ティーア派閥の国際テロ組織とされ今でも追われてるが、それは実は囮。実際は日本国自衛軍の特殊部隊と素体による混成部隊と当時、出動した法化制圧部の報告記録に残っている。この事件により当時のトーラス理事兼当主時津彫道人、その他要人が多数死亡。息子の時津彫龍之介に至っては瀕死の重体。法化の部隊が鎮圧するまでにかなりの人数と損害がでたらしい、ということだ」
暗闇に沈んだ室内。その中でも映える金髪を揺らしながら一人の少女が声を張って集まっている人物たちに説明していた。低い身長にも拘らずその人の目を集めるのはうまいように言葉を選び、呼吸の間に人が聞き入るように微妙な「間」をいれているためだろう。
もっとも、彼女はそんなことは当然で意図的にはやっていなかった。むしろそれが鬱陶しい。
室内は教室を改築したように広く、様々な機材が雑多に壁際に詰まれていた。しかし書類や本などは綺麗に纏められているので乱雑な印象はない。壁には誰かの手書きで「さくせんしれいしつ」とひらがなで書かれた紙が張っており、それ以外は時計だけで簡素。中央には重厚な机がコの字型に置かれ、最奥には教壇のような机が一つ置かれている。いずれも座っている人物の眼前の空間にODD(淡い緑色の立体ディスプレイ)が表示されているが、全員手元の紙の資料に目を落としていた。照明は意図的に手元が見えるぐらいに落とされている。
「いやー、すげぇなクリス。これだけ調べるの苦労したろ? 超グッジョブ。こんなの中央のメインバンクに行かないとないだろ?」
クリスと呼ばれた少女――クリスタンベル・久世・コルデーが最奥の机の前で資料を持って立っていた。得意そうな顔は彼女の幼い容姿はあいまって可愛らしく見えてしまう。彼女は長い髪をツインテールにしてワンピース姿のその細い身体を腕組みしながら資料に目を落としていた。
茶髪に長身に細目、右耳に一つだけしているピアスが特徴的の男性の発言に、形のいい口を歪め言う。
「ほとんどはネクターリンクのおかげだ。賞賛ありがとう高杉。その前になにか質問とかない?」
いんや、と男性――高杉謙一は笑いながら手を振る。相変わらず軽薄ない態度で内面が読めない、とおもうが本当になんにも考えてないんだろうな、とクリスは思考する。
「最後まで聞いてからにするよ。成実ちゃんはなんかない?」
横の席で資料ではなくてディスプレイのほうを凝視していた眼鏡の少女、橋本成実に声を掛ける。なんの表情もうかんでいないのはこれでデフォルトだが長いこと付き合っていると微細な表情の動きが分かるようになってきた。
「ええ、少しありますね。この再現映像では混成部隊のほうは時津彫邸の構造を把握していたようにも思える動きですが、これは事前に時津彫側に誰か手引きしたものがいるのでは?」
そう静かに言うと微妙に疑惑が浮かんだ碧眼を向けて来る。そこをつくか、とクリスは肩を竦めて資料に目を落とす。
「それは続きになるんだが――もちろんそういうふうに当時考えた者もいる。だが実際は謎だ。軍部かそれともほかのものがいたのか。それよりも重要なのは自衛軍がテロの仕業なんてもみ消せた力があったこと。それと素体がトーラスの外で戦闘として活動していたことだ。かなりの抑止力と力を持った集まりが上にいたこと。つまり――」
「トーラス上層部と日本の軍部が手を結んでやった自作自演、ということですか」
そう言葉を少しも驚きもせずにひき継いだ成実の言葉に心底嬉しそうにクリスは頷いた。時津彫家のほうの犯人については触れなかったのはわかってやってるんだろうな。
しかしその対面の壁に背を預け、座らずに目を閉じ、両腕を組んでいる蓮桐彩夏は憮然としていた。その様子を一瞥してクリスは続ける。
「一応自白したものもいるし、これは事実だ。日本とトーラスは共同して時津彫家を襲った。そしてあとはテロ組織のせいにして後始末の責任の擦り付けをやったわけってことだな」
「なぜそんなことを? やばいんじゃないの? ちょっち間違ったら戦争になってたかもしれん。トーラスと日本が」
高杉は相変わらずの軽薄な口調で言う。クリスはそれに首を傾げ、しかし目線を彩夏から離さない。彩夏は気の強い視線を相変わらずクリスに向けてきている。
「それぐらい価値のあるものだったのさ。トーラスは現在素体の使用領域を自国内に制限されている。そして日本国は素体という武力をほしい。この事件をテロの仕業にすれば素体を外で使える口実が出来る。日本国はティーアが支配してるとはいえ外国の体裁も必要だしね。一応利害は一致してるんだなこれが」
「それでも、反対した人はいるんじゃないの」
クリスはそこで一旦口を閉じる。初めて発言した彩夏の表情を見るがやはり不愉快そうなものだった。
――彩夏は何か知っているんじゃないのか。クリスはそんなことを考えながら、言う。
「当然いたけど。それが『時津彫家』だったわけだよ。邪魔者も一掃できてみんな幸せ、とは行かなかったわけだ。今も統括府理事会に重鎮として君臨されているレンのご祖父様が全て暴きたて、盟友の時津彫を救おうと今の立花さんを隊長に部隊を送り込んだ、というのがだいたいのあらましだな」
クリスは口で息を吐き、彩夏を見やるが依然黙り込んでいる。不機嫌というかむきになっているって感じ。なまじ容貌がいいからまるで自分が悪い事をいってしまったかのように錯覚する、のだろうな他人は。
同じように高杉、成実も驚いたように彩夏をみていた。
「へえ……うちの立花さんが先頭きって法化が制圧したのはあらすじとして聞いてたけど、そんなウラがあったなんてなぁ。彩夏なんで黙ってたんよ?」
高杉はその細目を彩夏に向けるが、彼女は降ろしている長髪を右手で払うと腰の剣帯に吊っている刀に手を置く。
「そんなに軽々しく喋れるものじゃないし、中央会でもトップシークレットだったの。黙っていたわけじゃないわ。逆にクリスちゃん、なんでそんなこと調べたの? また例の機密漁り? 前からいってるけどそういうのよくないよ」
剣呑な視線を金色の少女は受け止め、薄っすらと笑みを浮かべた。
「調べざるを得なかった、ってことだ。理由はこれからの話で分かる。今までのはただの歴史の講釈、ここからが本題だ。重要なのはそんな事件があったっていうことじゃない。その重体になった息子の龍之介、今日ここに来たその本人だ」
彩夏は少々不思議そうに渡された資料に目を始めて通し始めた。自分のその芝居がかった台詞にはなれてはいるだろうが、展開まではよめないだろう。
「ほとんど死亡とまで報道された龍之介は奇跡的にも生還。その後同い年の付き人を迎えるも中学時代にそれが自殺。その後一般大学校に進学するも途中で軍士官大学校へ転学。転学したのは一年前だが三年前ほどからちょくちょく軍の大学校への在籍経歴がみられる。おかしいのは興味がなかったかのように一般大学校へ行ったにもかかわらず軍学校へ転学した点、だよ」
「時津彫なら当然じゃねぇの。あそこは軍の養成所みたいなもんでしょ」
高杉が眠そうに手で顎を摩る。クリスは薄っすら笑いながらやはり彩夏を見て言う。彩夏は少し困惑したように資料をめくっていた。
「いや、本人がその気がないのならば、軍にいかなくてもいいと現当主はしているんだ。そこで急に軍学校へ、つまり自分から進んで軍へ行こうとした。その理由は直前の同い年の付き人の自殺にあるんじゃないかと、まあ推測してるんだな」
推測かよ、と高杉は笑いながら資料をめくり、龍之介の経歴書に目を通す。
その推測でも十分事実に近い。時津彫本人にはまだまだ秘密がある。
「さらに、『龍之介には兄弟姉妹がいない』上にあの事件で多くの人を失っている。もしそこで自殺した付き人から真実を知って――復讐しようとしたら?」
「それは……」
「ちょっと」
高杉と成実が同時に声を漏らす。それは当然だろう。復讐ということはつまりこの都市壊滅が目的だ。ということはこのトーラスという群集国家を一人で相手取るということでもある。荒唐無稽もいいところ、とクリスは考えるが、
「レン、お前はこの事実は知っていたか?」
「…………どうして私に聞くの」
「中央会の議員だっていうのにそんなこと言うのか?」
クリスの質問に彩夏はため息を吐くと首を振って答える。長い黒髪がうねって空間に散る。
「こんなところまで知ってるわけないでしょ。知ってるならクリスちゃんのほうがよほど知ってるんでしょ。『初めて聞いた』わ。あとその推測ちょっと想像豊かね。一人で国相手に復讐なんて、」
「狙いが都市全体じゃなくてある人物だとしたら?」
割り込んで発言したクリスの言葉に、はっはーんと高杉が資料を机の上に投げた。そろそろ飽きてきたのか両足を机にあげて腕を頭の後ろに回した。
「都市破壊じゃなくて要人暗殺すか。まぁあっちはどこまで絞れてるかしらねぇけど、復讐対象は自然標的は中央のお偉いさんだな」
全員わかったことを代弁した高杉にクリスは肯き、資料を壇上に置いて腕組をして全員を見渡す。
「もちろんそれも根拠はない。推測だ。でも一応これからウラは取っていく。どこまで可能かわからないけどな」
そうクリスは自身の長い金髪を跳ね除け、彩夏に向かって机を回り込む。
「それに龍之介は本名じゃない。一体どこですり替えたのか分からなかったが本名は『奈々耶』というらしい」
そこで初めて彩夏は表情らしい表情を見せた。悲しそうな、だが驚きも自制しているその顔。事前に情報をしっていたのかどうかわからなかったがなにかやはり知ってる。でもやはりいつものような強気のような起こっているような目つきになる。
「復讐のための偽名を六年前程度に使い、それに情報改竄。それでここに潜入した。一応筋は、」
「待って待ってクリスちゃんっ。なんでそこまで龍之介クンを疑うわけ? ただ本当に普通にはいってきただけかもしれないでしょ? わざわざ復讐者にしなくちゃならない理由は?」
「上からの、お達しだよ。僕も初め半信半疑だったけれどいくつかの事実がでてきたら中央も動いたんだよ。中央会の蓮桐、蓮杖以外の過去を知っている理事は当然怖いわけだ。だからわざわざレンに頼んで初めに僕が面談させてもらって、あと何かぽろっとださないか各メンバーに合わせるように仕組んだ、それは分かっている筈なのに――高杉とはあわせなかったよね? レン」
うん? と高杉は眠たそうな細い目を彩夏に送るがただはにかむだけだった。
「それはクリスちゃんがカード渡すっていう名目で全員と会話させようとしたからじゃない。ちゃんとやるなら言ってくれないと」
むぅ、とクリスはむくれた様に唸り、彩夏は大きくため息をついて言う。
「それに中央会が動いたのに強制力がないのはまだクリスちゃんの一存の域をでてないってことでもあるでしょ?」
……やっぱり色々付き合いがあるとこっちのことも読まれる。
「じゃあ、クリスちゃん自身はどう思ってるの……。その筋書き」
「どうもこうも……」
クリスは机を回って彩夏と対面する。外見年齢だけみると精神だけ老成しているようだ。
「知ってるだろ? 僕は真実を知りたい。その真実のほうの味方をするだけだ。真実は世界で僕を裏切らない。レン、君はどうなんだ?」
彩夏の濃厚な青の瞳とクリスの碧眼は交差し、一瞬の沈黙のあとに右手をあげ――クリスの頭に置いた。
「ちょっ! 何するんだレン!」
あわてて両手を使って引き剥がそうとするが巧みなステップでかわされる。
「何って、撫で撫でだよ? はいはい。いい子いい子」
逃げように身体を捻るがどうやっているのかクリスの頭から彩夏の手は離れなかった。その間にも頭をなでられて身悶えるクリスを面白そうに彩夏は見つめて顔を綻ばせる。
「むにゅー」
「むにゅー、じゃないっ! 何してるんだ! 早く手を離さないかっ!」
そんなことをジタバタと数分やってようやくクリスが彩夏の手を払いのけた。
「だーっ! 何がしたいんだっ! お前はいつもいつも」
「何がしたいって。クリスちゃん気張りすぎだよ。ちょっと肩のチカラ抜かなくちゃ、ね?」
そう言われてクリスは少し呆然とした。そして後ろで見守っていた成実は興味なさげに資料に視線を落とし高杉は終始にやにやしてみている。
「私はそんな筋書きはありえないと思う。推測で人を決め付けるのはよくないよ。もちろん色々準備はするけどそれでも気づかれないようにね」
「お、おい、レン、お前は暫く時津彫と話していたよな? 何か聞いてないのか」
ぼさぼさになった金の髪を整えながら顔を赤くしたクリスが言うが、それを聞いて彩夏は壁から背を離し、ジーンズのポケットから携帯型PDAを出して手元をみないままプッシュする。
「何も。普通にここの仕組みをちょっと伏せて教えてあげて、あとは雑談」
そう言うと部屋のドアに手を掛けて部屋を出て行こうとする。
「おい、ちょっとレン……」
「大丈夫。どうせ今日も『呼び出される』し。その時津彫クンとちょっとお話しとくよ。あ、あとそこで寝ちゃってる祀ちゃんヨロシクー」
「じゃあ――これからマックで話さないかっ!」
でも彩夏はひらひらと手を振ると部屋を出ていってしまった。
少し思わず口からついでてしまった言葉を自分で反芻しながら絶句していた金髪碧眼の少女は憤然とした表情で後方を振り返る。
「振られちゃいましたね」
と眼鏡を上げながら成実が冷静に言い、
「振られたなー」
と薄笑いを浮かべながら高杉が言う。
そして、
「ぐー…………」
会議が始まって以来ずっと机に突っ伏して寝ている蓮杖祀を見てクリスは盛大にため息を吐いて肩を落とした。彩夏はあれはれで他人に入れ込みすぎるし、こいつらは全然気にしなさすぎだ。
may be fun.