no date
部室棟を大きく迂回して森林に囲まれた入り口から、左手にある新築の部室棟を尻目に使い古された建物の錆びた階段を上っていった。上って中央から四番目、女子陸上部、サッカー部、男子バレー部のとっちらかった部室前をやり過ごし、ドアを開けようとしたらすでに空いていた。廊下は物凄い雑然としていて、部活に使用したのかボールやらなんやらが詰め込まれたダンボール、プラスチックの箱が積まれていた。
初めに目に入ったのは下から見ていた男子生徒の姿。地味にスチール製の灰皿を窓枠において椅子に腰を下ろしてぼんやりと空を見ていた。傍らには何かの書類の束があった。部室前の散らかりようは他の部と同じだが部屋の中は綺麗に整頓されていた。八畳程度の広さに重鎮そうな長机が一つ、錆びたパイプ椅子が四つ、部屋の隅に給湯設備なのかガスコンロにヤカンが乗っかっており、急須等給湯一式、お茶の葉が入った缶とか色々なものが置いてあった。
書棚が多くなんの書類が詰まっているのかわからないが机の上にもスリープ状態であろうノートパソコンが一台あり、その上にも書類が散乱している。
とりあえず何部なのだろうと楓がその長身で首を少しあげて、表札を見た。曰く『写真部』。
「え、ええーっ!」
自然と大きな声を上げた楓に吊られて窓際でぼんやりと空を見ていた少年がこちら振り返った。
「あれ、あんた、てっきり帰ったのかと、」
「そんなことよりあなた写真部だったのっ!」
男子生徒は半そでの学生服からでた意外にも太い腕でぼさぼさの髪を気だるそうにがしがしかき回すと、
「いや、それはち、」
「うちの学校確か写真部とかなかったじゃんっ! いやーしらなかったー、あ、分かった勧誘でしょ? いやでも困るなあ、わたし確かにフリーだけど、」
「少し止まれよ」
男子生徒が疲れたような声でタバコを灰皿に押し付けて消した。
「ここは元写真部。昔あった部室を間借りしてるだけさ。表の表札はめんどくさいから変えないだけだろ」
楓は状況が読み込めないのでそのままの体勢で呆けた顔になる。
ということはここは別の部が占有していて……。間借り? 誰が間借り?
「どいうこと?」
男子生徒は本当に呆れた顔になり、そのまま窓際の寄せた椅子に座ったまま言う。
「ま、わざわざ来たんだし入れよ。しかし……あんた暑そうな恰好してんな」
楓が部室に入り長机の前にあるパイプ椅子に座ろうとした時、そう言われたので自分の姿を見てみる。太股までのニーハイソックスに学校指定のブレザー。大きなリボンが特徴的だが可愛いと生徒の間では評判な制服。先日衣替えしたことを考えれば暑くもないのだが。
「そっかなあ。まだ快適だよ?」
にっこりとそう笑顔で言うが男子生徒は苦い顔をするだけだった。どうやらこの男の子は思ったことが表情すぐでるが口では言わないタイプなのだろう。ある意味感情表現豊かな、と。ある意味感情が表情に出るのかな、と。
「まあ、とりあえずあんたは、」
「佐久間楓です、二年生デス、よろしくっ」
男子生徒は喋ろうとした体勢で止まり、
「俺は坂崎謙一だ。覚えなくてもいいから忘れろ」
「覚えましたっ、けんちゃんよろしくっ」
男子生徒――坂崎憲一はまた渋い顔になったが何も言わなかった。態度と表情が合わなくて面白いな、と楓が観察する。学生服のポケットから新しいタバコをだして慣れた手つきで火をつけ、軽く吸うと紫煙を吐き出す。
「それで佐久間さんはなんで、」
「未成年の喫煙はだめだよ」
「…………」
「あんまり言わないけど目の前で吸われると注意しちゃうなあ。ほらさすがに見過ごせないって言うか」
「断っとくが俺は二十歳だ」
今度は楓が黙る。不思議そうに首を捻る。腕を組んで左に捻って右に捻る。そして、ん? と声を上げた。
それに坂崎は細い目で観察し、
「…………とりあえず佐久間さんはなんであんな所で写真撮ってたんだ?」
「ん? 趣味だよん。わたしの数少ない、本当に数少ないっ……、わたしの個性がこれしかないといっても過言ではないだろう、かもしれない、趣味の中の一つ」
「…………そこまで強調するのか」
「うん、飽き易いからね、わたし」
そこで楓はキョロキョロと部室内を見回す。
「ちょっと空が赤いって珍しいじゃん? だから撮っておこっかなあ、って思っただけ。気分だよ気分」
「はあ。まあ、他人の趣味にとやかく言わないが、空が赤くなるとかどうでもいいことに熱心になれるな」
「まー面白いこと好きだからねえ」
「面白いこと?」
「そ、どっちかって言うと能動形より受動系ナンデス」
「…………ああ」
坂崎は少し訝しげに表情を変えたが、また眠そうな顔に変わった。楓は自分では巻き込まれ癖がついていると思っている。
友人関係から恋愛沙汰、事故やらなんやら。
つい先日も自分とそっくりな女性と鉢合わせてゴタゴタに巻き込まれたばかりだがそのつど何とかすればいいと楓は思っている。その事例を坂崎には話してもいいのだがこれまたかなり長くなるので止めておいた。
坂崎はそれで楓がなぜこんなにもすんなりここに来たのか理解したらしく嘆息を吐く。
「それは都合がいいというかなんというか。さっきの勧誘っていうのはあながち間違えじゃない」
そういうと坂崎はすこし早口に語った。