自分より強い相手に勝つためには自分のほうが相手より強くないといけない。 | ひっぴーな日記

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よくわからないことを書いてます

いや、ある漫画読んでたらこんなものが。 (分かる人にはわかるだろうなwぶっちゃけな●は ぁ)

で、これを命題として解くと。

1:自分のうほうが相手より強くなると「相手」は自分より「弱い」ことになってしまうため、命題の「自分より強い相手に勝つ」に矛盾。

2:ならば自分が強くならなければいいとなると「自分」は相手より「弱い」となり命題の「自分のほうが相手より強くないといけない」に矛盾。


はいはいwこれは面白いよねw俺も大学のころに同じような論文かいたけど。これは数理学の範囲だけどさ。

これをラッセルのパラドックスっていうんだわ。あとは心理学ではベイトソンのダブルバインドとか。公理的集合論、存在公理、公出公理とかも引き合いにだされんだけどねー

んでこれは19003年にバートランド・ラッセルっていう数学者が書いた理論で論理学上発生してしまうジレンマについて解決するために命題の水準を分ける考え方である。
本当はラッセルが発見する前にエルンスト・ツェルメロが1900年に発見してるからツェルメロ・ラッセルのパラドックスとも言われる。

 まずラッセルは集合論において水準(階型)にパラドックス(ジレンマ)があることをみつける。
   「自分自身を含まない集合の集合は、自分自身を含むのだろうか」

 これがラッセルのいうパラドックスであるが、一見して理解し難いので例を挙げながら述べる。
 まず「自分自身をその要素として含まない集合」があるとすると、これは「食べ物の集合」や「車の集合」といったもので、その集合自体は「食べ物」や「車」ではないということ。そして「自分自身をその要素として含む集合」があるとすると、それは「集合の集合」や「食べ物ではない集合」といった集合それ自体が要素の条件としてあげる条件に合致する集合のことである。
 では「自分自身を含まない集合」を考える。「食べ物の集合」や「車、学校、自転車の集合」などの『「自分自身を含まない集合」を「すべて集めた集合」』(仮にAとする)は自分自身を含むのだろうか?
 Aは「自分自身を含まない集合」を集めたのだから当然、自分自身を含まない集合である。しかし自分自身を含まないというならば、Aは自分自身を含んでいることになるのではないか。それでは矛盾する。逆に、「自分自身を含む集合」とすると「自分自身を含まない集合」であるからやはり矛盾する。

      次にラッセルが上げる有名なパラドックスの例を挙げる。
 ある街に自分でひげを剃らない町の人、全員のひげを剃る美容師がいた。ではその美容師のひげは誰が剃るのだろうか?
 
 1:美容師、自身が自分でひげを剃る、となるとこの美容師は『自分でひげを剃らない人』のひげを剃ってやっているのだから美容師は自分のひげを剃るわけにはいかない、ということになる。よって矛盾。

 2:ならば美容師はひげを剃らない、とするとこの美容師は『自分でひげを剃らない人』を剃っているのだから自分のひげを剃らなければならない。よって矛盾。

 おわかりいただけただろうか。上記の文の自分でひげを剃らない町の人、全員のひげを剃る美容師が『「自分自身を含まない集合」を「すべて集めた集合」』であり、『自分でひげを剃らない人』、自身が自分でひげを剃る、ひげを剃らないというのが「自分自身を含まない集合」なのである。

 こういったパラドックス(ジレンマ)をラッセルはレベル(水準)の違う概念を混同しているためと考えた。このジレンマを解決するために論理階型という考えを用いて、言語の中に階層性を取り入れ、矛盾して循環するジレンマの循環性を排除した。
 つまり『「自分自身を含まない集合」を「すべて集めた集合」』(A)というのは階型がほかの集合よりも上位にあり、自分自身を含む、含まない集合という命題は下位の水準に位置すると考えた。とするとAは自分自身を含むとするとこの水準は別にあるため正しいことになり、含まないも同様である。

さて、

いい加減手が痛くなってきたのでおわりたいんすがw

つまり論理学上ありえない命題が混同しており、それを分けることによって循環するジレンマの解消をしたってわけね。

よって最初の命題の答えは「命題自体を変えて、階層化し、そして答えを出すことである」となるね。

はいおしまいw寝るwあ、答えは各々で出してください ぇぁ

そいや今日七夕だったねぇwなんにもやってねぇやw

あ、そうそうやっぱひだまりおもしれぇわ ぇw