うーん、しかしひたぎのほうから告白とかどうなん? | ひっぴーな日記

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よくわからないことを書いてます

冒頭
(現代語に訳しています)

「ところでさ、八九寺。お前、そのお母さんの家に行った事があるって言うのは本当なんだな?」
「本当です。嘘はつきません」
「なるほど……」

 けれど、久しぶりだから道に迷った――わけではないだろう。蝸牛に出会ったから初めての場所ではなくとも――

 いやしかし、どうして八九寺は蝸牛なんかに行き会ってしまったのだろうか?
 理由。
 僕が吸血鬼に襲われたのには理由がある。羽川にも、それに。戦場ヶ原にも。
 ならば――八九寺にも理由はあるはずだ。
「……なあ。単純な考え方だけど、目的地にたどり着くこと自身が目的なんではなくて、お前、お母さんに会いたいだけなんだろ?」
「だけどとは酷い言い草ですが、まあそうです」
「だったら、向こうから会いに来てもらったらいんじゃないのか? ほら、お前が綱手さんの家に辿りつけないとしても、お母さんは家の中に閉じ込められているわけじゃないんだろう?」
「無理ですね。ていうか無駄です」
 即答する八九寺。
「それが出来るならとっくにそうしています。でも、それは出来ません。私はお母さんに電話することさえも出来ないんですから」
「ふうん……」
「私はこうやって、お母さんを訪ねるしかないんです。例え、絶対にたどり着けないと分かっていても」



ふーん。あそこまでにやにやできる告白シーンもいいですなぁ。
というかあららららぎさんは ぇ いちいち自問自答してるような

しかしながら、1つの事象を観察してその観測者が2つの結果がでたとして、その2つが間違っているとは確かにいいがたい。

だが、その2つの結果でさえ、間違ってはいないとは言い難い。

そもそも観測者は究極的に客観でなければならないのだから、その人間単位での論理ではそもそもそれは、回答らしき回答はでないだろう。

とおもった。

しかし童貞ねたがw

確実に蕩れははやってますよw

しかし死んでいたとはねぇ。いわゆる叙述トリックってうやつですか。空の境界の第一章「俯瞰風景」の「式」の言葉遣いがすべて男性口調で一人称がオレ、で読んでいる人はてっきりずっと男性だとおもっていたが、最後に黒桐に「君は女の子なんだから」といわれて「あれ!?女なの!?」ってびっくりするような
(但し映画は映像の都合上当然ながら初めからその叙述トリックは崩壊してたけどね)

そういえばようやく攻殻機動隊みはじめましたw