【過去メモより】
今日は取りとめもなくつらつらとブログを書き綴ってみます。
人生は幻。人生は思い込み。
一人ひとりの人間が、自分の信じた人生を歩んでいる。
望むと望まざるとに関わらず、自分がこうだと信じた、もしくは信じてしまった、世界と人生を生きていく。
どんなに大変な環境に生きていたとしても幸せを感じながら生きることのできる人もいれば、どんなに恵まれた環境にいても自分を不幸だと感じながら生きていく人もいる。
幸せになるためには、今、幸せである必要がある・・・。
今幸せじゃないから、幸せになりたいのに、そのための条件として、今幸せでなければならないのなら、もうどうしようもないじゃないか!と思う人もいるだろう。
ある意味において、人生ははったりだと思う。
なせなら自分が信じたように人生は進んでいくから。
はじめに自分が思い描いたこと、信じたことが誤解であったとしても、自分が信じてしまえば、それが現実になってしまうから。
AさんがBさんの悪口を言っていたとしよう。
Aさんは悪意を込めてBさんの悪口を言っていたのに、BさんはなぜがAさんが自分のためを思って愛を込めて言ってくれたと勘違いしたとしよう。
Bさんは自分を応援してくれる存在にエネルギーをもらい色々なことに明るく前向きに積極的に取り組めるようになったりする。人に見守られていると感じたり、応援されている、信頼されていると思われれば、人は大抵そのことによって力を得る。それが自分の勘違いだとしても。
ところがBさんがAさんの悪意をそのまま受け取ってしまったら、Bさんは明るく前向きに積極的に物事に取り組むエネルギーが沸いてくるだろうか?とりあえず嫌な気持ちになって、やる気がなくなるのが普通だと思う。
勘違いもはったりも大して差がない。
どちらにせよ、自分が信じた、信じてしまったように、人生は動いていくからだ。
どんなに人から大切にされようとも、愛を感じられず不幸せな気持ちになる人もいるし、ほんの些細な一言の中に自分なりの解釈で愛を感じ幸せな気持ちになれる人もいる。
自分がどう思うか。自分がどう解釈するか。
現実の世界よりも、自分の方が強い力を持っている。
実際に起きる出来事には、もともと何の意味もないと思うからだ。
どんな出来事が起きても、その人の受け止め方で、その出来事の意味が変わってしまうからだ。
そう現実の世界で起きる出来事に決定的な意味なんかない。
意味を付加するのは、意味を付け加えるのは、意味を与えるのは、一人ひとりの人間だからだ。
だから出来事には絶対的な意味なんかない。
ある出来事が起きたとして、間違って解釈したがために幸せになることだってあるのだ。
絶対的な意味がないのに、一般的にとか、普通はとか、人と比べてとかいう風に、人は意味づけをしている。
自分にとってどうであるかではなく、一般的にどうなのかという尺度でものを計る。
比較をし続け、優劣の判断をし続け、善悪の判断をし続ける限り、人は自分らしく生きることはできない。人は自由にはなれない。
自分の外側に価値基準を置いている限り、自分に満足することは難しいのではないかと思う。
自分の中の理想の自分に縛られて苦しんでいる人がいる。
そんな時は、自分の尺度で、自分がどうなりたいかで、物事を捉えてしまってもいいのではないかと思う。
自分がよければいい。自分が幸せならいい。自分が今満たされていればいい。
そんな風に物事を解釈してしまってもいいのではないか思う。
どう生きても、誰にも何にも言われる筋合いはない。
人にどう思われたっていい。
そう自分の人生なのだから、自己責任において、自由に生きればいい。
好きに生きる代わりに、すべての責任を自分が負えばいい。
自分の本音を押し殺して、仮に自分が満足する人生を送れなかったとしても、誰もその責任は負ってくれない。
誰かのせいで自分はこうなったといい続けても、誰も助けてはくれない。
社会や世の中や人の文句を言い続けても、何も変わらない。
誰かの助けを借りることができたとしても、最後に自分を助けられるのは、自分だけ。
なぜなら人生は幻であり、世界は幻であり、すべてはその人がどう理解し、どう解釈したかにかかっているから。
誤解であっても、はったりであっても、その人が信じたように世界は見える。
そしてその人の信じた現実に伴って、さらに世界や人生は創造されていく。
幻の世界を想像し、創造していくのは自分しかいない。
目の前の世界に、目の前の現実に意味を与えることができるのは、自分しかいない。
人はそれぞれの世界を生きている。人はそれぞれの宇宙を生きている。
目の前で起きる現実には、何の意味もない。
すべてはうまくいっている。自分のためにならないことは起きない。すべては自分のために起きている。
そんなアファメーションを唱え続け、自分に信じ込ませるのもいい手のなのかも知れない。
どうせすべては幻なのだから。
自分が意味を与え、自分が想像し、自分が創造する人生を世界を光り輝かせるのも、どこまでも暗く落ち込ませるのも、自分しだい。
どちらを選択する力も人は持っている。
この際、小さな自分に執着せずに、はったりでも誤解でも思い込みでも何でもいいから、自分は世界に祝福されていると思ってみてはどうだろうか?信じ込んでみてはどうだろうか?
世界は楽しい場所だと思い込んでみてはどうだろうか?信じ込んでみてはどうだろうか?
目の前の自分が信じた幻の現実に囚われて悲観的に生きるより、よっぽど生産的だと思うのは間違いだろうか?
よっぽど人生が豊かなものになると思うのは間違いだろうか?
人生にゴールなんてない。
人生にあるのは経験と今のこの一瞬だけ。
過去に囚われることにも未来を恐れることにも何の意味もない。
昔○○だったから幸せになれない・・・。○○になれたら幸せになれるのに・・・。
両方とも今を生きていないし、過去や未来の思い込みの中を生きているに過ぎない。
そんなものに囚われれるくらいならいっそすべて忘れてしまうといい。
過去に学ぶことと過去に囚われることは違う。
記憶や恐れに支配されて生きるくらいなら、すべて忘れてしまえばいい。
今を生きずに一体いつを生きるのだ?
今を満たさずに一体いつを満たすのだ?
今を満たせないものは、この先訪れる今を満たすことはできない。
なぜならきっとこの先の人生においても常に手の届かない未来を満たすことばかりを考えているからだ。
幸せになりたいのなら、今、幸せを感じることだ。今幸せになることだ。今を満たすことだ。
自分を大切に自分を満たすことを考えて生きることだ。
自分が自分を満たさずに誰に何に満たしてもらおうと考えているんだ?
そんな依存心は捨ててしまえ。
自分で自分を満たす生き方を選択しよう。
そして今あるものに感謝しようとしてみることだ。
今あなたの心を満たしてくれるものは何だろう?
どうすれば自分自身を満たす事ができるだろう?
どうすれば今を幸せに生きることができるだろう?
あなたは愛に基づいて自分の生き方を選択しているだろうか?
それとも恐れに基づいて自分の生き方を選択しているだろうか?
あなたは、今、幸せか?
あなたは、今、自分のために、自分を満たすために生きているか?
あなたは、今、本当はしたくないことをしていないか?
あなたは、今、自分を心地よくするために生きているか?
あなたは、今の人生に満足しているか?満ち足りているか?
あなたは、愛に基づいて生きているか?それとも恐れに基づいて生きているか?
これらの問いに、あなたは真正面から逃げずに言い訳せずに正当化せずに比較せずに恐れに囚われずに自分の心の声に従って答えられるか?
人生は無駄の中にある。
人生は自分を満たすためにある。
人生は幸せになるためにある。
人生においてしてはいけないことなどない。
人生においてしなければいけないことなどない。
人生において自分が唯一責任を負うことは、自分自身を幸せにすることだけ。
人生において一番大切なことは、今、この一瞬を幸せに生きること。
自分が幸せであることが一番大切。
自分を幸せにすること=他人を幸せにすること。
そんな風にパラダイムシフトしてみてはどうだろうか?
今、この瞬間の自分自身を満たすために、自分の幸せのために生きてみはどうだろうか?
過去にも未来にも恐れにも理想にも何にも囚われずに・・・
ただ今この瞬間の幻を楽しみ喜びで満たし輝かせるために・・・
(過去メモより)