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昨日は上野で。

店主から「君の発言は哲学的だ」と言われた。

ちょうどこんな曲を作ったのもあってか、なんだかその言われ方を気に入った。





「現代社会」をテーマにした曲。

曲の意図を伝えた時に、みっきーから「それを言いたいとしたら少しクセが強すぎないか」と言われたけど、いい機会だし、本音も皮肉も言ってみよう、と。




SNS時代がそうさせるのか、人間関係は表と裏があるのが、裏の顔を持って使い分けるのが、「裏アカ」なんて言葉が一般化するくらい珍しくない。
果ては、人には裏があるのが当たり前とまでする考え方も見えて、それは悲観主義を通り越してある種の破滅願望のようにも見える。



もちろん、全ての人と波長が合うなんてことはないから、人から嫌われたり疎まれたりって少なからずあると思います。



味方のふりをしていても裏では罵られていたり、悪そうに見えるひとが案の定悪い人だったり。
そういうのも事実として存在する。
(あるいはその逆もあるのだろうけど、この曲ではそれは扱っていない)




僕自身も例外ではなく、プライベートもそうだし、ビジネスも、あるいは音楽でだって、人間関係と名がつく部分では、誰かしらと衝突するだろうし、それはなかなか避けられない。

人前に出る機会を重ねれば、一度すれ違っただけのような、ろくに話もしたことがないような人から知ったかぶりをされるなんて珍しくないし、何も知らないであろう外野(別に内野でもそうか)が関係者のふりして評論家をやっているなんてのもよくある話。

「何言ってるの?」なんてわざわざ言わないけど、わかる人だけわかってくれたらいいなんて達観できるかと言われたら決してそうじゃない。
何も言わないことと何も思わないことはイコールじゃない。




臆病さを隠すために、やりたいことをやらないための理由探しをするのが上手な世渡りで、そうやって見つけたそれらしいものの説得力が賢さだというなら、それはとても滑稽に思う。

RTやいいねの多いことが正義で、自浄作用と言う名で誰かの言葉尻を捕まえて炎上させ、他者を吊るし上げる。
顔も知らない誰かの不幸を憐れむ反面、顔の見える範囲では足の引っ張り合いをする。

出る杭が打たれるところを見て安心しながら、凹んでいる箇所に手を伸ばすことにカタルシスを得るなんて、とてもグロテスクに感じる。



もちろん、上記はSNSに言及した話ではない。




現代事情に物申したいとまでは思っていない。

自分と違う考え方を捕まえてやり玉に挙げるんじゃ、それこそ現代社会の思う壺だし。



やりたいことをやるのと、やれることをやるのは根本が違うと思っていて、できそうだからやって、できなそうだからやらないなんてするくらいなら、いっそ潔く消えてしまうほうがいい。





目に映ったものでさえが事実とは限らない。 



けど、だからこそ、自分が何を思いってどこに進むのかは自分自身で選びたい。

それに、よく見ていれば何が本当で何が嘘かなんて意外とわかる。




そういう歌です。