哲学者ぶった方も嫌いじゃないよと言ってもらえたので、今回はそっちに針を振る。




僕は、何かをするときは、それ用に名義を作ることが多い。
おちゃらけたものから真面目な感じまで様々。

基本的には全部ふざけた感じがいいのだけど、ふざけてるのは外だけでなく中からもウケが良くないので、最近は真面目な感じが多い。
(アウトプット自体が目的だから文字通り垂れ流しくらいでちょうどいいかなと)
(某ニコニコ動画では汚物の名前だった(笑))

(太陽を奏でると書いたときや)
(人の集まる場所と書いたとき)
(なりたい自分てことで知りうる1番の天才の名前を拝借したとき)
(なんてことがあった)



名前をつけるのは別人格への投影だと思っている。

例えば俳優なら、いろんな名前でいろんな役を演じる。
そんな感じ。




その時々で、自分が求められる(あるいは求める)役を演じていて、それは、変身願望やコンプレックスの裏返しに他ならない。

僕自身、御多分に洩れず、自身を好きかと言われればイエスとは答えられない人種で、自分の心の弱さやずるさをみつけては落胆することはよくある。

だからせめて、ステージに立つときくらいはって、なりたい自分を作り上げてるのだろうと思う。




配役は様々だけれど、大体の方向性はあったりして、そこの若干の違いが自分にとっての意味や楽しさに繋がる。
(だから「どのときが好きだった」とか言われるのは楽しい)
(逆にごちゃごちゃに認識されるのは自分の力量不足だろう)
(そもそもこんな考え自体を満足に説明してもいないからごちゃごちゃになるのは当然なのだろうけども)



自分の中に全くないものを語ってるわけではないけど、こうして人前に出るときは自分をかなり誇張して、虚勢を張っている。

ブログを書くときは文化人のように振舞って、ライブではテンションを上げて。
別に本名を隠しているわけではないから、知ってる人も多くいるだろうけど、でも、ミュージシャンとして振舞っているときの人格は、本名で呼ばれる自分とは別だと思っている。
(多分そうしないとプレッシャーなりに潰されてしまうし意志を持てない)
(そういえば昔、バンドを始めるときに小学校からの友人と「本名で呼び合うとスイッチが入らないからやめよう」と話したことがあった)




今回のミニアルバムの名義に迷ったのはそれが理由。


自分であって自分でない。

それの置き場所に困った。
「自分語り」とはいったものの、ただ自身を投影しただけでは当然なくて、込めた感情には綺麗事やらかっこつけを多く含む。
そしてそれは前述の通り、なりたい自分像でもあってモチベーションにもつながる。

ある種の相互作用みたいな?
(側からみたらただの自問自答だろうけども)




多重人格とは、自己防衛本能が原因の面があるらしい。

多くのオルターエゴを抱える僕はそれだけ現実逃避願望が強いのかもしれない。

そう思うとなんとなくなるほどと思えることもある。





ではでは。


また更新しますね。