民裁修習 | KFデラックスの日記

KFデラックスの日記

・人災のため2010年2月2日よりこちらに引越しをいたしました。最近、「なう」も始めました。
・2012年4月7日より、完全な個人ブログとなりました。
・2012年11月15日より、名前をKFに変更しました。
・2013年4月25日より、名前をKFデラックスに変更しました。

こんばんは!!


昨晩はA作が日帰りですが遊びに来てくれました!!

花束と名前入りのハンカチを頂きました。また詳しくは別途書こうかなと思っていますが,彼には本当にお世話になりました。4月から社会人ということで,今生の別れ・・・ということではないのですが,なんだかとても寂しかったです。。。


 さて,現在は検察修習を終え民裁修習中でございます。民裁修習とは民事裁判修習のことであり,文字通り民事裁判についての修習を行うために地裁にて勉強中です。もう大詰めですけど。



 検察修習は被疑者取調べなどを実際に行う点が醍醐味で面白かったですが,今の民裁修習は比べ物にならないぐらい大変ですが充実しています。恐らく弁護士になるであろう僕にとって裁判官の部屋で裁判官の方々と事案について議論ができるのはこれが最後なのだと思います。任官すればこの限りではありませんが,司法試験合格者の中でも裁判官になれる人はごく一握りの優秀な層のみで,僕みたいな人は恐らく箸にも棒にもかからないでしょう笑。



 普段何をやっているかと言いますと,民事保全・執行などの講義や,起案(試験)などもありますが,主要な研修は実際に裁判所に係属している事件の記録検討と起案(ライティング)です。本当に発生しているナマの事件を目の前にして,どのような事実が認定できるのか,どのような法律解釈をすべきなのか,どのような判決の見通しになり,和解の可能性はあるのか・・・などを検討しています。その検討結果について起案(ライティング)し裁判官に提出し,その後そのペーパーを基に裁判官の方々とディスカッションをします。「なぜこのような認定ができるのか?」「原告の言い分のどこが不合理なのか?」などの問答を通じた検討が行われます。



 次に同じぐらい主要な地位を占めているのが弁論準備手続・口頭弁論の見学です。当然あらゆる弁護士が来るわけです。どのような弁護士が,どのように振舞っているのかを知ることは,自分が将来弁護士になる上で非常に勉強になります。準備書面の書き方,証拠の提出の仕方,和解の探り方など本当に多種多様です。こうやって多くを見ていくと,良い弁護士と悪い弁護士の最大公約数のようなものが見えてきます。弁護士として大切なことは,弁護士はあくまで代理人という立場であり当事者本人そのものではありません。当事者本人は法律的には素人な人が大半ですので,感情論に任せた言い分のみしか言わなかったり,相手を罵倒したりする人もいます。


しかし,いくら弁護士は本人(依頼者)に雇われた身だからと言って,本人の言い分にそのまま乗っかって主張しているようでは,裁判官が困るばかりか相手方も困惑してしまいます。弁護士というのはこうした素人の言い分をある程度客観視した上で裁判官にそれを説得的にプレゼンすることが大切なのだと思います。そうすることで,裁判官としても法的に意味のある主張を弁護士から聞き,改めて事案の検討に入ることができますし,相手方も法的に意味のある反論をすることができるようになります。「正義感と客観性」,このバランスをわきまえている人は良い弁護士であると思います。



 この「正義感と客観性」という観点からもっと言えば,いくら本人のためであったとしても,ある程度客観的に訴訟の見通し(勝つか,負けるか)を考えた上で,その後の対応を考えられる人は良い弁護士だなと感じます。「その後の対応」の典型例としては和解です。裁判実務においては判決により訴訟が終了するケースよりも,和解により訴訟が終了するケースの方が多いですし,裁判官としても和解を勧めることが多いです。弁護士としてこのまま行けば,敗訴すると分かっていながら和解という第三の選択肢を全く視野に入れず,訴訟行為を継続してしまうと,終局的には依頼者の利益を害することになります。なぜなら,弁護士を雇うというのは当然コストがかかるわけですが,訴訟行為を続けて判決を待ってもどうせ負けてしまうのでは,依頼者のコストの観点から不適切です。したがって,このような場合少しでも依頼者の利益を実現できるような和解案を考えるべきです。



 では,どうやって弁護士は負け筋か否かを判断するのでしょうか。もちろん,当事者の言い分を聞いてある程度客観的に分析した場合に勝ち筋か負け筋かは見当付くことも多いと思うのですが,ヒントになるのは裁判官の心証です。現段階で担当裁判官は本件事案の帰趨についてどう考えているのかを緩やかに開示することが多いです。弁護士はこの裁判官からのメッセージを的確に読み取ることも大切です。「あなたの言い分が通るかどうか,まだ判決を書いていないのでどうなるかは分かりませんが認められない可能性も無くはないです。」と言われた場合,負け筋だろうと思います。この心証開示についてはそれぞれの裁判官によって違うので一概には言えませんが,弁護士としてはそういったメッセージを感じ取ることも非常に大切です。



 このように見ると,裁判修習は裁判官になる人にとってはもちろん,それだけでなく弁護士になろうと考えている人にとっても必要不可欠な修習でもあるのです。



 もう少しで民裁修習も終わりですが,事実認定をする上で大切なこと,それはどのような経験則があるのか,その経験則に揺らぎは生じていないのか(反対仮説の可能性)をしっかり検討することです。例えば,「家の前の道路が濡れていた」という事実があるとします。この事実から「先ほどまで雨が降っていた」という事実が推認できそうです。しかし,このように経験則通りで良いのでしょうか。「近所の人が水撒きをしていた」という可能性もあるのではないでしょうか?これが反対仮説です。ではこの反対仮説を排斥できるのでしょうか?この時に「自分の家は孫正義の自宅と同じぐらい広い」という事実が認められれば,近所の人が水撒きをしていたという事実は排斥できるかもしれません。



 このように原告,被告の言い分のストーリーは本当にそのストーリーで良いのか?どこかにおかしい点はないのか?といったような仮説の定立とその排斥の検討という作業が事実認定をする上でとても大切だと感じました。そうでないと,誤った事実認定を招いてしまう可能性があるからです。こういった視点は裁判官だけでなく,法曹実務家として必要不可欠であると感じました。



 2ヶ月間という短い間の民裁修習でしたが,担当裁判官の熱心な指導により大変充実した研修となりました。次の2ヶ月は弁護士事務所での修習となります。この民裁修習で学んだことを次の研修でも活かしていきたいと思います。



では明日も頑張りましょう!!