Ri ButovによるPixabayからの画像

 

この記事のタイトルにあるような言葉は、これまでもう散々「スピリチュアルな世界」で言われてきたところのことだと思います。そして、それは本当、真実……なんですよね。

神様が「このひとに!!」と見込んで、わたくし達ひとりびとりに与えてくださった聖なる夢は、神様が一度お始めになられたら、必ず、神様がノーとおっしゃるまで終わることはありません。だからこそ、わたくし達はそれぞれ生まれるときに、その聖なる夢を実現するために必要なものを神様から有り難くも頂戴してまいります。そして、それらは、ときに「見えなくなる」こともしょっちゅうなのだけれど、でも、自分でそれらを「ない」と思わない限り、必ず、人生の節目節目で、ちゃんと目の前に具現化されてくるもの、なんですよね✨

 

5月に入って、やっと、ここ数ヶ月切望していた「心置きなくお休み出来る日々」がやってきたのに、そのせっかくの恩寵を自分自身の中に巣食う真っ黒なもので埋め尽くしてしまっていたのが、ここ最近のわたくしでございました。というか、そもそも、昨年の秋頃からずっとものすごい嫌悪感と危機感と焦りを抱きつつ、日々のいそがしさでそれらをごまかしてなんとかなんとかここまで来たから(そういう意味においては、お外でのお仕事はものすごく有り難いのです……!)、自由な時間が手に入った途端、それらに自分がすっぽりと覆われてしまって。かなり、つろうございました。

しかし、そうしたものにどっぷり浸かっていてもなんの救いにもならず。おまけに、そうしたエネルギーに同調して、更なるネガティブなものに自ら飛び込んで行ってしまっておりました。
 

けれど、けれど、今こそ、この聖母マリアさまの聖なる月、この五月にこそ、まさにそうした「積もり積もったネガティブなもの」にきっぱりと別れを告げなければならないのが今のわたくし、なのです。それこそが、この期間、まさにわたくしに与えられた課題、なのでした。

それは結局「聖なる自分に回帰する、神の子としての自分に立ち返る」ということでございました。でも、わたくしは自分の弱さという免罪符を片手に、そうした姿勢から逃げてしまっておりました。所謂「被害者で居たほうが楽」ってハナシです(苦笑) でも、それではいつまで経っても救われないし、何よりも自分がつらいだけ。そして、そうしているうちに、どんどんあっという間に時間は過ぎ去ってしまう。この春、散々神様が、イエス様が「何も心配することはない」とあれほどおっしゃってくださってきたのに、まだその大変ありがたいお言葉を信じられない、信じきれてない、いえ、信じようとしないわたくしがおりました。

でも、もういい加減、そうやってぐだぐだなんて正直、言っていられないのです。今、このときを逃せば、本当に、わたくしが恐れている方向に物事が流れていってしまう。でも、それだけは絶対に嫌!! 死んでも嫌。なら、もういい加減、覚悟を決めなければいけないのです。

それはすなわち自分の中にある豊穣と共に生きてゆくということ。天の豊かさは全て愛のエネルギー。お金だって、その豊かさが具現化したもののひとつに過ぎません。地上においても天の次元で生きるか、それとも、この地球上の、三次元のエネルギーに塗(まみ)れて、これからも生きてゆくのか? その分かれ道がまさに今、このとき、なのです。

これまで半世紀以上生きてきて、(ありがたくも神様に、天によって)生かされてきて、物事を決めるときの判断基準は、わたくしの場合、後悔するか・しないか、でございました。それに照らし合わせるなら、前述のとおり、こんな沼にハマってうだうだ言ってる暇など全くない。世の中のネガティブな物事に自ら突き進んで、それらに塗れていっても、なぁんの救いにもならない。せいぜい身体の中によくないものを作り出すのみでございましょう。そうしていては、わたくしの神様とのお約束、わたくしにとっての聖なる夢は実現出来ない。それだけは絶対に嫌。ならば、なすべきことは己の中にある無限の豊穣=天の豊かさにしっかりと繋がって、神の使徒としてこの世でもしっかりと生きていくという選択にほかなりません。(ということで、昨日の朝だったかには「聖バルバラ」のお名前が突如心に入って来た)

今こそ、本当に……気分で、口だけで物事を言うのではなく、本当に、心の底から聖なるものを求めてゆかなければ。気に入らないもの、不快な出来事、眉を顰(ひそ)めるような行動をなさる方々のことを非難・批判している暇などないのです。そんな暇があるなら、英単語のひとつも覚えましょう!、って話です。ベトナム語のひとつも覚えられるでしょう、って話です。天国の門に立ったとき、それまで生きてきた人生を振り返って地団太踏んで悔し泣きするのだけは絶対に、死んでも嫌。(って、亡くなってから天にかえるのですけれども(笑)) 今回こそ、わたくしにとって人間として生きられる最後の人生、なのですから。現世で成就できなかった課題を来世に持ち越すことは、もうわたくしには出来ないのです。(だから、今回の人生、再会だらけ、それのみならず、同じ職場に舞い戻るという経験も数回している)

その真実(あくまでもわたくしにとっては。おひとからご覧になられたら、こういうことをお話しすること自体、妄想でございましょう)にしっかりと目を向けて、それと共にこれから残りの人生を生きてゆかねば。まずはこれからの約半年間で、ものすごく大きな大きな(最初の)挑戦をしてゆかなければなりません。しかし、それさえ、神様とご一緒にことに当たるならきっとうまくいく、そう信じております。信じるのみならず、その信じる思いを行動に落とし込んでゆかなければ。止まない雨はない。そう信じて、虹の輝きを求めて、今日からの日々をまた歩いていきたく存じます。ありがとうございます。In Jesus' Name, Amen.

 

 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 自らの資質をどこまでも高めることを通じて広く社会に貢献しようと志す女性起業家の為の直観コンサルタント