北京オリンピックは終盤戦となってきた。
現地応援は叶わなかったが感慨深い大会の1つとなっている。
4Aにチャレンジし4位入賞した羽生結弦選手。
SPの日は用意を整えテレビの前で正座してその時を待った。
手は冷たく自宅観戦のため1人きり。
最初のジャンプを文字どおり祈るような気持ちで手を固く握って見守った。
4Sは散歩に行ってしまい1Sとなる。勿論無得点。
スコアの『0』の表記を呆然と見つめた私はそこから動揺しまくる。
ふわっと跳んだ失敗ジャンプなのにきちんと氷の1点を見つめた羽生結弦選手は落ち着いてるな、とも思った。
あとはノーミスの素晴らしい演技。
最初の4Sが決まっていたら、と悔しくて仕方ない。
穴があったときいて尚更である。
キスクラで絶望的な得点が出たあと、宇野昌磨選手にエールの拍手を送っていた。。
正直そのあと見た選手の演技は覚えていない。
連休は取れなかったため、翌日は仕事。
仕事中も脳内で清塚信也さんのピアノが鳴り響き、羽生結弦さんが美しく舞う。
帰宅して練習映像を見た。
4Aの着地失敗の映像はファンなら『あっ』と気づいたと思う。
1人で考えるのを放棄しTwitterを覗く。
誰もケガしたんじゃないか、なんて呟いていなかった。
みなさん、気がついていたけど努めてポジティブに言葉を紡いでいた。
ミーシンコーチもアドバイスしていたように、勝つためだけなら4Aを跳ぶ選択肢は捨てたと思う。
平昌のときのように。
オリンピックで4Aチャレンジに賛同する指導者はいない。
だから羽生さんは深夜の狭いリンクでたった1人で練習を続け、オリンピックに臨んだのだ。
自分のルーティンを尊重してくれた、と語っていたからオーサーコーチは指導者としては勧められないけど
応援はしてくれたのだ、と思っている。
2月10日。
FS天と地と。
軌道に入りふわっと跳んだ4A。
降りた、と思った瞬間転びすぐ立ち上がり手を広げてランディングのポーズ。
一連の流れは美しく振り付けかと思うほどだった。
4Sを失敗したときは、最後まで滑りきれるのか、と心配になった。ケガはひどいのではないか、と。
しかし、羽生さんはそのあとも美しく舞を奉納した。
画面を見つめ張り詰めた気持ちがふっと緩み涙が止まらなくなる。
なんて人だろう。
言葉がみつからない。
今までも尊いと思っていた。
遠い存在なのは間違いないけど、歴史に残る人物を現在進行形で見ているのだ、強く思った。
長くなったのでまた、続きは次の機会に(*・ω・)*_ _)