母が永眠いたしました。
昨日
14日は、母の73歳になる誕生日でした。
週末、一緒に暮らす弟から連絡を受け
離れて暮らす私は、すぐ実家の近くに住む姉に連絡
母を週明けに病院へ連れて行ってくれと頼み
母にも、病院へ行くよう話して
やっと病院へ行った時には
癌が基で、ご飯もあまり食べられていない状態でした。
3月31日に緊急入院
この時はまだ、自分の足で歩いていたし
今後の治療に希望を持っていました。
長くはなくても、一旦帰ることが出来ると…
コロナの影響もあって、すぐに駆けつけたいけど
電車での長時間の移動は、
私自身、癌に侵されたこと(治療は終わって経過観察中)もあって、娘に大反対されました。
土曜日に、旦那に車で連れて行ってもらう予定だったのですが
金曜日の午前中に姉から連絡がありました。
敗血症だと
すぐに娘は離れて暮らす息子にも連絡
皆が母の元へ駆けつけました。
意識もしっかりしていて、話することも出来て
大丈夫だと思いながらも、処置の間は病室の前で
涙が溢れてくるのを止めようと努めました。
やっと会えた母は大分痩せてはいたけれど、
笑顔を見せてくれました。
その日は夕方まで病院にいたのですが、
いつまでも居られる訳ではないと、一旦帰ろうと
実家に向かう途中、病院から連絡があり、すぐに戻りました。
血圧が下がりすぎ、集中治療室に移動したとのこと。
そこでも、意識は保ってくれていて
血圧も戻り、少し落ち着いたところで
そっとベッドから離れました。
また明日。来るからねって…
午後8時を過ぎていたので、離れて暮らす息子と旦那は、翌日仕事があるので自宅へ帰り。
私と娘、次男は残りました。
病院から離れ難く、近くでご飯を食べて
それでも病院からは連絡がないので、
一度実家へ帰り休みました。
3時40分頃、再度病院から連絡があったと
姉からの連絡で向かいましたが
駆けつけた時には、既に息を引き取った後でした。
そこからは何が何だか、うろ覚えなような
時間の感覚も、何もかもがよく分からないまま…
母と一緒に実家に帰り
葬儀までの3日間
まるで、そこで眠っているかのような母に
何度も「お母さん」と話かけました。
子供たちに「おばあちゃん」と、呼ばれたくないからと言われ、
「みっちゃん」と呼んでた母に
ずっと「お母さん」と呼んでいなかった私は
今まで呼べなかった分
沢山「お母さん」と呼びかけました。
葬儀が無事済んで、日曜日に帰って来ましたが
母と二人で暮らしていた弟から
今朝写真が送られてきました。

お母さん。ありがとう。
今まで沢山 心配掛けました。
苦労も沢山 掛けました。
まだまだ何もお返しできてない
親不孝な娘でごめんなさい。
今はもう苦しくないですか?
安らかに…
それだけ願ってます。