『耳袋』より、一心に願って30億円分の寄付を得た話。。 | barsoのブログ

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 子どもがなりたい職業の1位は、「第一生命」の調査によると小中高校生男子と中高校生女子は会社員でしたが、「進研ゼミ小学講座」の調査では小学生はユーチューバーが3年連続1位。2位以下は順に、漫画家やイラストレーター、芸能人、プログラマー、パティシェ、学校の先生、保育士や幼稚園の先生、作家、そして9位に医師が入りました。

 生命保険会社の調査では堅実な職業が選ばれ、通信講座塾の調査では才能や個性を伸ばせる職業が選ばれているのが面白いですが、いずれにしてもクリエイティブ関係か、堅実な職業か、ひとを助ける業種ですから、「末は博士か大臣か」と一律に野心出世を願うより自由で、面白くて、人間らしいような気もします。

 今回は、四代将軍家綱の時代、「精神一到何事か成らざらん」と言われる通り、ひとを助けることを一心に願って、その完成を成し遂げた禅僧の話です。

 

 


 一心の願いは成就する事―――『耳袋』第一巻(現代語訳)

 初めは一向宗の寺僧だったが、晩年に禅宗に帰依した学僧の話である。

   jfet62.jpg 出典
 
 ある日、檀家から娘の法事用にと持ちこまれた歳米(ときまい)を見た坊守の女が、「色が潔白で良い米だから鮒寿司にしようかしら」と言った。それを耳にした僧は、「一向宗は無慚なり(戒律を破っているのに恥としてない)」と観じ、その場で妻も宗旨も一切を捨てて京に上った。
(註:「坊守」とは浄土真宗では僧の妻の意。「一向宗」は浄土真宗の一派で妻帯肉食を許されていたが、鉄眼はあまりに俗に過ぎると幻滅したようだ)

 それから禅宗の門を叩き、禅の修行をした僧は、ある時、師の坊に、「生涯のうちに一切経を翻刻して誤りを糺(ただ)したい」と願い出た。
 同僚の僧たちは「身のほど知らぬ大願だ」と嘲笑したが、師は「成就を疑うな。もっともな願いである」と励ました。
(註:「一切経」とは仏教の聖典全部のこと。「翻刻」とは古文書・古典籍・石碑などに残された古い時代の文字を読み取り、活字化すること)

 早速、僧が人通りの多い街道に立ち、事情を述べながら合力(寄付)を乞い始めたらすぐ、一人の侍が通りかかった。
 僧は何度も合力を乞うたが、返事なし。一里(4km)ほどあとを追って声を掛けたが、見向きもされない。なおもひたすら一里半ほど合力を乞うたら、侍は「うるさき坊主かな」と言って懐から一銭を出した。
 僧は「ああ、有難きこと」と大いに歓喜したら、侍が振り返って、なぜ一銭ぐらいで喜ぶのかと尋ねたので、僧はこう言った。
今日は、大願の初日。一銭を乞い得なければ、わが信心も迷ったに違いないが、この一銭を得たゆえに、もはやわが大願成就は歴然たり

 果たして、日ならずして、一切経の翻刻を成し遂げたということだ。

 


 僧の名は鉄眼道光(黄檗宗・1630~1682)。
 鉄眼が津軽から薩摩まで全国を行脚した資金集めは、言語に絶する大変な旅だった。大阪地方に大洪水が起きたときは折角集めた資金を救済のために提供し、そのあと近畿地方に大飢饉が起きたときには、また集めた施財を惜しみなく飢民に給付するなど、苦労して集めた資金を一度ならず二度までも投げ出した。
 それでも、さらに鉄眼は三度目の資金集めの旅に出かけ、着手から十年目に一切経(全6956巻)の出版を成就。翌年、過度の疲労から五十三歳で亡くなった。

   kgs345.jpg 出典

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 人通りの多い街路に立ち、見知らぬ通行人に近づいて話し掛けるのは、勇気(使命感)が要ります。何かのボランティア活動なら賞賛されることがあるかもしれませんが、宗教の話題が喜ばれることは99パーセント無いからです。
 私は以前、聖書の福音を伝える活動を三十年以上続けました。家から家へと一軒ずつ歩いて、店舗や学校、寺社、交番もしらみつぶしに訪問しましたが、もし教団から伝道の際に「寄付を願いなさい」と指示されたとしたら、すぐ教団を離れたと思います。それには聖書的な根拠がないのと、個人的な心情としても金品の無心なんかしたくないからです。
 (宣べ伝えることはイエスの遺言〔マタイ 28:19,20〕ですから、伝道では罵られようと嘲られようとまったく腹は立たないのですが、一ついま思い出した面白い体験は、小さな事務所に入ったとき、「なんだ、クリスチャンか。アグネスチャンなら聞いてやるのによお。みすぼらしい恰好をして来い」と作業服姿の若い男から言われたことです。なお、こちらはスーツにネクタイ着用です)

  禅宗では僧侶は寄進や施しによって生計を立てる場合があり、援助を受けることに慣れているかもしれませんが、それにしても鉄眼禅師は、一番最初に出遭った、まったく無関心の侍に、二里半(2時間半)も追いかけて寄付の話をし続けたのですから、その熱心さ(侍から見れば厚かましさ、しつこさ)は並大抵のものでないことが分かります。(新約聖書ルカ11:5-10参照)
 しかし鉄眼禅師には、まず、心の中に「一切経の翻刻をしよう」という強い思いがあったがゆえに、その思いが力強い行動となり、結果として壮大な事業の成就となったのでしょう。「われ思う、ゆえに、われ行動す」というわけです。

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 さて、人間は煩悩の塊です。座禅を組んで瞑想をしてみると夢想無念どころか、5秒も経たないうちに無意味な邪念がまあ次から次に頭の中に浮かんできて、その "思い" の連続登場を止められないことを痛感します。
 一生を90年間、物事をよく考える年齢を15歳から、起きている時間をその3分の2とし、5秒ごとに何かを "思う" なら、その合計は31億5360万回にもなります。

 息をしている間、私たちはそんな無数の考えを思い巡らしているのですが、そのうちの一つだけでも、ひと様の役に立つと思えることを実行できれば本当に自分自身で歓喜できるでしょう。
 鉄眼禅師は自分の壮大な願いを強く "思い" 続けましたが、私たちも何か善いと思えることに一心に打ち込んで一生を終えられれば、禅師のような大願成就は叶わないとしても、悔いのない "善死" を迎えられそうじゃないですか。




《備考》―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●一切経の翻刻は現代に製作するなら30億円をはるかに超える壮大な事業だった。
経典を書き写すのは大変なので、木版の明朝体で刷ることを考えたわけだが、版木に最適な吉野山の桜板の数は6万枚。版木を一面に敷き詰めると3600坪、積み上げると阿蘇山(1592m)より 200m高いそうだ。
●菊池寛の『恩讐の彼方に』で知られる「青の洞門」は、曹洞宗の僧・禅海がノミと槌だけで硬い岩を掘り始め、のちに周辺の村民らの援助を得、30年余りの歳月をかけて完成させた長さ約342mのトンネルで、これはただただ善意ゆえに始まったものだが、鉄眼の「一切経」翻刻は信仰による使命感と信徒らへの善意のゆえに始まったものである。
●歴史上「一切経」の出版は中国で2回、日本で2回の出版されたのみだが、社会に広く普及せしめたのは鉄眼禅師であるそうだ。
●鉄眼禅師の偉業は、大正12年から昭和20年まで、文部省発行の尋常小学校国語読本国定教科書に『鉄眼と一切經』として掲載。昭和天皇からは『寶蔵國師』という諡号が特謚された。
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