映画『ある愛の詩』。愛とは許しか、悔やみか。(後編)a | barsoのブログ

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 前回は、米国映画『ある愛の詩/Love Story』の副題の解釈を考えました。
 今回はその後編ですが、その解釈が二転三転し、さらに四転するので、ちょっと面白いですよ。

 その副題は、父親が息子に「アイムソーリー」と言ったときに息子が答えたセリフで、原文は Love means never having to say you’re sorry. "でした。

 配給会社は「愛とは決して後悔しないこと」と訳しましたが、文学者T.U.氏は、正しく訳せば「愛は決して『すまない』と言わないこと」という意味であり、息子は父親の謝罪を拒絶していると註釈していました。

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 (そのセリフは、大富豪の息子が父親の反対を押し切って貧しい移民の娘と結婚したら、間もなくその妻は若くして病死するのですが、訃報を聞いて病院に駆け付けた父親に、数年ぶりに会った息子が言った言葉です)

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 ところが、T.U.氏とは逆の解釈があり、これがなかなか面白いのです。

 というのは、息子のそのセリフは、父親を責めているのではなく、許しているとも解釈できそうなのです。
 娘(ジェニー)が亡くなる前に、夫婦喧嘩のあとで夫(息子)と交わした会話を見てみましょう。原文と『DeepL翻訳』をアレンジした私訳を載せます。
  " Jenny, I'm sorry…"
 " Stop !"
  she cut off my apology, then said very quietly,
 " Love means not ever having to say you're sorry. "  

 「ジェニー、ごめん…」
 「やめて!」
  彼女は私の謝罪をさえぎり、とても静かに言った。
 「愛し合っていれば、『ごめん』なんて言わなくていいのよ


 彼女のセリフを配給会社の和訳「愛とは決して後悔しないこと」と調子を合わせて言うなら、「愛とは決してあとで謝罪しないこと」となり、妻が夫を許している言葉になります。
 息子(夫)はこの妻のセリフをほぼそのまま父親に言ったわけですから、父親を許していることになり、T.U.氏の注釈とは逆になるのです。

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 ところが解釈が逆転して、やはり父親を責めているとも考えられます。

 というのは単に父親を拒絶する言葉なら、演出として味気ないからです。「嫌よ嫌よも好きのうち」と言われる通り、「嫌」はじつは「OK」の場合もあり、言葉は異なる状況では異なる意味になることもあるのです。
 そこで映画の当該シーンを見て、父と子の顔と声から内面の気持ちを読み取ることにしようかね、ワトソン君。

 この動画では、息子が「ジェニーは死んだ」と言い、父親が「アイムソーリー」と言い、その次に息子が「ラブとは決して~」と語ります。時間は約30秒です。
 
 


  (父親が申し訳なさそうに「アイムソーリー」と言ったらすぐ、息子は、それ以上言わないでと制止し、父親の目を見て言い聞かせるように、「ラブとは~」のセリフを言います。父親は深く考えるような顔をし、息子は黙って去っていきます)


 さて、許しているのか、責めているのか。どう感じたでしょう?  

 

 このセリフは亡き妻が夫(息子)に愛情を込めて言った言葉だったことと、そもそも父親が結婚に反対したのは息子を愛していたからこそであることも考えると、息子は妻の愛情を思いだしながら父親を半ば許しているのだろうと思いましたか。
 それとも同じ言葉を使って怒りと拒絶を表していると見ましたか。
 あるいは、息子の心の中には、《もっと早く父親と和解すればよかった、そうすれば妻は死ななくて済んだ》という後悔の念に父親への恨みや妻への愛情が錯綜去来していると思いましたか。
 そしてまた、この話の作者は、《人生には誰にも愛と後悔の念があるものだ》といった人間関係の哀楽を表現しているように感じましたか。

   そんないろいろ複雑な思いをまとめて「愛とは後悔しないこと」と要約したのなら、配給会社はなかなかの名訳を残したとも考えられます。

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 ところが、またまた別の解釈もあるのです。備考欄をご覧ください。



《備考》――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 『YAHOO!知恵袋』にこんなアンサーがあったので、要約します。
 二つ場面がある。第一の場面は、夫が妻に、" I'm sorry(ごめん)”と言ったときで、妻の返事は《口に出して謝らなくても、愛しているからあなたの気持ちは分かっているわ》という意味。第二の場面は、父親が息子に、" I'm sorry(お悔やみを言うよ)”と言ったときで、息子の返事は《彼女の死は受け入れがたいけど、彼女を愛したことを僕は決して後悔していない》という意味として受け取れる。「愛とは決して後悔しないこと」とは、二番目の場面のセリフの翻訳ではないか?
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016285675
 ※“sorry"の意味=すまない(謝罪)、気の毒に(同情)、かわいそう(共感)、残念な(遺憾)、自分の心が悔やむ(後悔)、聞き返す時の “sorry?”(もう一度言って)
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 生には謝罪と後悔が付き物ですが、何十年か経つと、そんなこともあったなあと、ほろ苦い哀愁のような心地良い感傷に変調することがありますね。これも人生を素晴らしくしてくれる宇宙の仕掛けの一つのように思います。