相変わらず、定期的に襲ってくる足の痛みと格闘しております、わたしです。

あーもう。痛いってw

いろーんな事がそうしてある中でも
悪いこともあるし、
いいこともある。

運命とは奇なり

というのか

出逢うべくして出逢った人は確かにいて
縁は深まっていくのではないかと痛感する

離れていくものもあって、それに対してどう向き合うかっていうのは割と私は大切だと思う。

毎日みんなみんな忙しくて、とてもじょないけど人のことなんて考えられない時はある。

だけど、そんな中でも私は想い続ける事を辞めない人がいたりする。

そして、それはね、きっと自分がこの世からいなくなるまで続くんだと思っている。

何故かはわからない。
もしかして、その人が先に居なくなったら、この想いはその人と共に一緒に旅立ってくれるものだと思う。
私の気持ちで天国とかいうのがあるんだったら持ち上げて飛ばしてあげたいと願う。

これは、言葉には出来ないもの。愛とか恋とかじゃない。思いやりとかでもない。情なのかな、うーん、そういうものでもない。


生きてくる中で受けた影響。
それは、生き方や、人生や、心持ちや、感情や、そんなものを揺り動かして、私の人生を作っている、そのもの。

人が人をツクル。

沢山出逢わせて貰う中でも、薄っぺらくないもの、揺るがないもの、、

なんて言ったらいいかわからないから沢山言葉を並べてみてるけど

例えばずっと、数十年、心を許して、信じていた人。
逢うことや、話すことが叶わなず別々の時を
別々の線路を走っていた人がいたとして
そんな人との繋がりが
出会いが
紡がれる事が
ある

この世には、信じていれば、想っていれば、必ず、そんな事が起きるという事。

だから、諦めちゃいけない
辞めてはいけない。想うことを。

どんな時も心の中で気持ちをそっと置いておく事ができれば、何十年かかったとしても、
その日はきっと来る

だから、夢とか奇跡という言葉に置き換えないでいい。

全てが現実だと私は思う。

現実に起き得る事は夢でも奇跡でもない。

たどり着くまでに起こる事が、きっと奇跡。
目的地、目指す場所、そんなんじゃないのかな。

それを変えなければ、ぶれなければ、辿りつく日はあると

私は思う。

自分を信じる。
こんなんじゃないはず。
こんなんでくたばるよーな人間じゃないはず。

絶対に無理だなんて思っちゃいけない。
目に見えない進歩に焦る必要はない。

困難じゃない、いくつもの奇跡を乗り越えれば、そこにあるものは、待ち望んでいるもの。

欲張ればいい。
自分が抱えられるなら。


全てが上手くいかない時はみんなあるはず。


ペラペラの人生にしたけりゃすればいい。
それを選択すればいい。

理解してくれないものに対して、どうしていくか。。
それで、人の種類が分別されるような気がする。
いいとか悪いとかじゃなく、右なのか左なのか、的な事で。

だから、、わからない人もいて、わかる人もいるとも感じる。

それでいいのだ。私は。

ありがとう、
心から今言える事。


今、ここに存在できて、ここまで生きてこれて、
本当によかった。
本当に。