気持ちを吐き出したいような気がするので、ブログに書いてみる。


7月中旬、おばあちゃんが亡くなりました。

(親しみを込めて祖母ではなくおばあちゃんと書きたい!)


おばあちゃんは、母の母で、母と結婚して父が婿養子となり、一緒に住んでいました。


私が生まれた頃には、もうおじいちゃんは他界していて、母が4歳の時に亡くなっていたそうです。


私からみて、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも一緒に住んでいて、おばあちゃんは仕事をしながら、2人の娘を育てていたのだと思います。


私が小さい時は、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんもいて、大家族でした。


2歳になる前に、弟が生まれて、母は弟につきっきりになるので、私はおばあちゃんと過ごすことが多くなって、しょっちゅう一緒に田んぼに行ったりしていたし、夜寝るのもおばあちゃんとひいおばあちゃんと寝てました。

(母屋とはなれで家が別々だった)


「お姉ちゃんなんだから…」みたいなことをよく言われていたけど、おばあちゃんが居てくれたから、寂しくなかったし、いろんなことを教えてもらったと思います。


母は、あんまり遊んだりしてくれるタイプではなかったし、育児に追われて必死だったような気がします。

父は亭主関白なかんじで、家事とか一切やらなかったかな?

でもまぁ大家族(多い時で8人)なので、ひいおばあちゃん、おばあちゃん、母と女手は足りていて、みんなでご飯を作っていたような気がします。


母が忙しいから、夕方、近所のパートから帰ってきたおばあちゃんと遊ぶことが多かったかな。


小さい時、一緒に居る時間が長かったからか、何かあった時、私が頼るのはおばあちゃんだった。

母は口下手だし、相談するタイプではなかったのもある笑

父はこわかった笑


歳を取って、口煩く感じることもあったけど、私はおばあちゃんっ子だったと思う。


私が結婚して、実家の和歌山を離れて、大阪で住むようになり、更に転勤で神奈川に行くことになった。

妊娠して、子供が生まれ、里帰りして、いろいろ助けてくれたのも、母よりおばあちゃんだった。


いろいろ気にしすぎな時に、「大丈夫や〜」と言ってくれたのもおばあちゃんで、ずいぶん楽になった。


おばあちゃんは、100歳まで生きていけそうなくらい元気で、80歳を過ぎても、朝は40分ほどウォーキングして、そのあと1日中畑仕事をして、私が帰ったときは、小さい息子とドッジボールをしたり、走り回っていた。


一気に元気が無くなったのは、コロナの時期からだった。


人と話したり、会ったりするのが大好きなおばあちゃんだったから、どんどん元気がなくなった。

コロナが怖かったのもあって、ずっと家に居て、マスクもしてた。

私も帰れなくて、電話をするだけだった。


母は、おばあちゃんと折り合いが良くなかった。


しょっちゅうケンカしていたし、ケンカしないのは顔を合わせないからで、同じ家に居ても話すこともほとんどなかった。


私はそれが嫌で嫌で、何度も普通に接してほしいとお願いしたし、父にもお願いして、泣いて頼んだけど、あんまり改善されず、おばあちゃんは家で孤立していたと思う。


母には母の事情や思いがあり、口下手な母はあんまり話してくれなくて、私には理解できなかったけど、長年蓄積された何かがあったのだと思う。小さい頃に父を亡くしているので、いろいろ苦労もあったとは思う。


母のおばあちゃんへの態度は、ほんとに酷かったので、私は実家に帰るたびに、母と言い合いになったりしてたし、弟は母とおばあちゃんの関係を子供達に見せたくないと少し距離を取り、妹は、おばあちゃんが好きだったから、母が嫌で実家に寄り付かなくなった。


私は、父も母もおばあちゃんも大好きで、一番遠くに住んでいたけど、一番仲良かったと思う。


おばあちゃんが、少し体調を崩すというか、体は何もなってないのに、痛いとしょっちゅう言うようになり、父がそのたびに病院に連れていったりしていた時期があった。なんの検査をしても何もない。でも痛い痛いと言う。大学病院とかでも診てもらったけど、何もない。精神的なものだったのかもしれない。


近所のかかりつけのお医者さんも困りながら、いろいろと対処してくれて、入院したりもしたけど、よくはならなかった。


父も母も同じ家に居ながら、おばあちゃんとほとんど話すこともなく過ごしていた。

父は母の味方だったから、おばあちゃんはほんとに1人だったと思う。

弟は近所に住んでいたから、子供達とおばあちゃんに会いに来てくれていた。


母は足が悪く、難病指定のため治らず、何をするのも不自由で、家事はほとんど父がするようになっていて、おばあちゃんのご飯も父が作っていた。

おばあちゃんはいつも感謝していた。


おばあちゃんはほとんどベッドで過ごすようになり、ある日骨盤骨折をして、入院になった。

そこから一気に悪くなった。


近所のグループホームに入ったけど、ほとんどベッドで過ごし、ホームの人達とも話すこともなく、1人部屋にこもっていたと思う。


私も、お正月、お盆と帰る時は顔を出していたけど、ご飯も食べれないと聞いたときは、すぐにホームに行き、まさか私が居るとは思わないおばあちゃんは、目に涙を溜めて、喜んでくれた。

家に帰りたいと言っていた。でも父におばあちゃんのお世話は無理だった。


7月のある日、おばあちゃんがいよいよ危ないと父から連絡があり、すぐに帰ってホームに行くと、とても苦しそうだったけど、まだ意思疎通はできたので、「しんどい?」って聞くと頷いていた。

何時間か居たけど、何もできず、次の日は仕事だったから一度神奈川に帰った。


仕事に出て、翌日お休みだったので、家で過ごしていたら、「今夜がヤマだ」と連絡が来た。

主人と息子もおばあちゃんにはお世話になったからと、一緒に和歌山に行ってくれた。


父、弟、妹、叔母も私達が来る前にホームに来ていたようで、一度家に帰っていた。

私は大急ぎで新幹線で帰っていて、家に荷物を置いてからすぐにホームに行きたかったのに、父は晩御飯を支度しだして、我慢できずに、主人と息子と3人で歩いてホームに向かった。


病室には弟が居てくれていた。

おばあちゃんはもう意思疎通できなかった。

苦しそうに息を必死にしているだけだった。


苦しそうで、見ているだけで涙が溢れて、

「がんばったなぁ」と何度も声を掛けた。


お正月に、まだ少し元気なおばあちゃんと話しをして以来、会えてなかった息子は、人の死が近づいた姿を見て、立ち尽くすだけで、何も声を発せなかった。

衝撃的だったんだと思う。

主人も「しんどそうやなぁ。」と声を掛けてくれた。


父が来て、みんなで1時間近く見守ったあと、晩御飯を食べに一度実家に戻った。

ご飯を食べ終わって、休憩していたら、ホームから

「亡くなりました」と連絡が来た。


慌ててホームにみんなで向かい、お医者さんと見届けた。

「お疲れさま。良くがんばったなぁ。今までありがとう」と声を掛けた。

息子も泣いていた。


そこからはバタバタと告別式への準備が始まって、泣く暇も無かったけど、落ち着いたら涙が溢れた。


母は、結局おばあちゃんに会えないままだった。

足が悪く、外出するのも大変なので、嫌がっていた。

お通夜が終わったあと、父が葬儀場に残り、弟の車で一度実家に帰り、寝るための準備をしてから、弟が葬儀場に泊まってくれることになった。


家で、母に、

「ほんまにいいん?1回も顔見れないままで」

「後悔しやん?今やったら部屋に弟しかおらんし、車椅子も貸してもらって行けるよ?」

と、何回か声を掛けた。


そしたら、

「行こうかな」

と、言ってくれた。

「泣いてしまうわ。今も泣きそうや」

と、ずっと涙を堪えていたのがわかった。

母は、おばあちゃんの顔を1年くらい見てなかったと思う。


葬儀場に居る父に、

「お母さんがそっち行って、おばあちゃんに会いたいって」って電話をした。

父は、母に「会わんでいいんか?」と生きてる時にも声を掛けてくれたけど、「いいわ」と言うので諦めていた。

父は、めちゃくちゃ驚いていて、

「え?そうか!そしたら迎えに行くわ!」

と、母と私を迎えに来てくれた。


車に乗るのも大変で、主人にも手伝ってもらって、なんとか車に乗り、葬儀場へ向かった。

母は緊張していた。


部屋では弟が待っていてくれて、母は支える車を使ってなんとか部屋に入り、おばあちゃんの棺の前に行けた。


顔を見たその瞬間、泣き崩れた。

「ごめんよ。ありがとう。ごめんよ」と。

「綺麗にしてもらってるなぁ。いろいろありがとう」

と、泣いていた。


父は

「やっぱり無理矢理でも生きてるときに会わせてやればよかったなあ」と後悔していた。

そして、

「最後に顔見れてよかった。ありがとう〇〇(私の名前)」と言ってくれた。


私もほんとによかったと思った。

絶対後悔すると思ったから。


母は心臓も悪くしているので、告別式にも出なかった。おばあちゃんに会えたのはこの時が最後だった。


みんなて寄せ書きをしたけど、母は、あんなにきつく当たっていたのに、

「優しくしてくれてありがとう」と書いていた。

私は驚いて、私にはわからない関係があるんだなと思った。


あれから、3ヶ月が経ったけど、ふとした時に、

「ああ。もうおばあちゃんは居ないんだ」と思い、

涙が出る(今もボロボロ)

「あ!そうだこのこと電話しよ〜」って思ったけど、あ、居ないんやったって思ったりする。

夢に出てくるのは、元気なおばあちゃんだった。


私はなるべく会いに行っていたほうだけど、それでも後悔はある。


もっと何かできたんじゃないか。

もっと会いに行けばよかった。

もっと電話すればよかった。

もっと違う病院だったら、、、

もっと近くに居たら


きっとどれだけしていても後悔はあるんだろうなと思った。


父も母も、歳を取り、まだまだ他人事に思えた介護や同居が現実的になり、ほんとに話し合いをしなきゃなと思うようになった。


まだ、どうなるかわからないけど、後悔はなるべく少なくしたいなぁ。


おばあちゃん、おじいちゃんに会えたかな〜