御 教 歌
あふことは いやといふのも 人による
勝手病ぞ 御免(ごめん)下され
出逢いのなかで、嫌と思うのも人による。
自分中心の勝手気儘(きまま)な人は御免蒙(こうむ)りたいものである。
このように仰せいただいた御教歌です。
人は生きていく以上、必ず人と交わっていかなければいけません。
その交わりでも、善き人との出逢いもあれば、自分にとって悪い人との出逢いもあります。
中には、善き人との出逢いによって人生が大きく変わった・・という人も少なくありません。
本日の御教歌では、自分にとって嫌な出逢いの人について触れておられますので、どんな人が自分にとって嫌な出逢いとなるのかをお話していきたいと思います。
ことわざに
「人には飽(あ)かぬが病に飽く」
とありまして
「人そのものに飽きるのではなく、その人の心の癖に愛想(あいそ)が尽きる」
ということです。
また、その心の癖にも
「人に七癖(ななくせ)我が身に八癖(やくせ)」
とありまして
「人の癖は多いように見えるものだが、自分自身はもっとたくさんの癖を持っているものである。ただ、自分の持っている癖に気がつかずにいるだけである」
ということです。
人には夫々色んな癖があるのですが、その癖のなかでもどうしても嫌な癖がある・・というのです。
その嫌な心の癖というのが、「勝手病(かってやまい)」なのです。
常に自分が中心であり、自分の言いたい事・やりたい事 し放題・・・
「人に高下(こうげ)なし心に高下あり」
という言葉がありますように、
「人は皆平等であるが、人格や生き方には上下の差がある。人の迷惑をかまわない利己心の強い人間に限って、人間の平等を口にする。それは平等どころか、彼等こそが人としてあるまじき心のあり方なのであり、平等を壊しているのである」
人として生きていく以上、人に嫌われる生き方は誰しも望んでいないし、していないつもりです。
けれども、判断するのは自分自身ではなく他人なのです。
他人がどう判断するのか・・・それは自分自身が「勝手病」というオノレ良しのひとりよがりで、人の意見・忠告も聞き入れようとしないどころか、人の批判ばかりをして、それを他人に吹聴(ふいちょう)しているようであれば、他人は寄ってくるどころか自然と離れていってしまうものです。
結局は哀れな人生の末路を迎えることになりかねません。
私たちは、そういう「勝手病」のために哀れな人生の末路を迎えないためにも、謙虚に自分を見つめ直し、悪ければあっさりと認め改良していく心の強さを持ちたいものです。
人との出逢いのなかで「この人と巡り逢えて本当に良かった」と言ってもらえるように、自分自身を磨いていきたいものです。
