心のものさし 小牧清立蓮行住職ブログより

そうじ力にも リンクするとこrがあり 参考に転記させてもらいます。

しよう!しない心が起こるのも自分自身


              御 教 歌


       すればする 体をおのれ 持ちながら


           でけぬと云は 心也けり



 しよう!と思えば出来る身体を持ちながら、しようとしない心が起こるのも自分自身なのである。


このように仰せの御教歌です。


身体と心は切っても切れない一体のものですけど、心で思うことと身体で行なうことは、実際には違うことが多いものです。


これは、私ごとの例ですが、
高校時代、心の中では「受験勉強を頑張らねば・・」という思いは強くあっても、肝心の身体が言うことを聞いてくれず、結果は言わずと知れたことでした。


ところが、人は自分の煩悩欲のためだったら、厭(いと)わないどころか喜んで出来たりするものです。


けれども、人のためにする難儀・苦労でしたら、心から喜んでさせていただこう!という心が起こってこないのも確かなことです。


私は29歳を境に出家の道を選んだのですが、それまでは無類のマージャン好きでした。


人は私のことを「ジャン小僧」と呼んでたくらい、好きで好きでこよなく牌(ぱい)を愛した男でした。


麻雀でしたら徹夜するのも全然苦痛ではなく、むしろ喜びでした。


明け方まで牌を打ち、そのまま寝ずに出勤ということもよくありました。


ところが、お寺に入り人を助けるために仏さまへ向かってお唱えするのですが、1時間がキツイのです。


麻雀では、徹夜も平気だった筈なのに、イザ人のためにさせていただくとなると1時間でもキツイのです。


その当時は


「麻雀で徹夜が出来て、何故人のためなら出来ないのか?」

ということが、ずっと自分の中での疑問でした。


今振り返ってみますと、人のためだったら中々苦労しようとしない自分がそこにあったのだ・・・ということがよく分かります。


でも現実自分の心は、中々そうは言うことを聞いてくれませんから、


 「心の師となるとも心を師とせざれ」


という教えがありますように、「そうは言われても出来ない」という心を師として従っていくのではなく、そのような「そうは言われても出来ない」心を自らの身体で引っ張っていくことが大事なことなのです。


そして、いつかは心も一体となって、心の底から人のことで難儀・苦労が出来る人になりたいものです。





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